人が作る建物や町が人や社会をかたちづくる

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Hulme demolition

「我々は建物を形作り、その後、建物が我々を形作る」というチャーチルの言葉と民主主義との関係について書いた話の続き。今回は個々の建物ではなく、人間が作る街の形によっても私たち自身の生活や社会が形作られるという話です。

チャーチルの言葉

We shape our buildings and afterwards our buildings shape us.

「我々は建物を形作り、その後、建物が我々を形作る」

チャーチルが英国国会議事堂と民主主義について語ったことについては下記の記事で書きました。

チャーチル「建築が私たちを形作る」英国国会と民主主義

建築というものは人間が造るものですが、できた後には私たちの日々の暮らしや生き方に知らず知らずのうちに影響を与えます。さらに、それが集まった町や地域となるともっと大きな、そして世代を超えて長く続く結果になることがあります。

イギリスのタワーブロック

日本では「タワマン」が東京に住む富裕層のシンボルのように語られていますが、イギリス人から見ると、少なくとも外見上は(たぶん居住面積も)生活保護対象者や低所得者層が住む公営の高層住宅に見えてしまいます。というのも、2017年に大火災で世に知られたロンドンのグレンフェル・タワーのような1970年代前後に多く建てられた「タワーブロック」と呼ばれる高層住宅はイギリスではもともと低所得者向けに建てられた公営住宅が多いからです。

戦前、イギリスの低所得者層は2階建てのテラスハウス(長屋)に住んでいたものですが、戦後の1950~1970年代に、当時人気だったル・コルビュジエ風のモダンなコンクリート製の集合住宅にとって代わられるようになりました。安普請のテラスハウスは「スラムクリアランス」で撤去され、その跡地や緑地に自治体が競うようにして高層住宅を建築し、公営住宅として貸し出したのです。

未来的で人目を引くモダンな外観と近代的な設備を備えた住居は最初は人気がありました。けれどもそのうちのいくつかでは建築上の欠陥が問題となるものもあり、それにもまして様々な社会問題が起きるようになりました。迷路のような通路や公共空間は荒廃して、落書きだらけになり、犯罪や非社会的行動の巣窟となり、子供が安心して遊べる場所もなくなるところが多かったのです。

その結果、それぞれの家族は必要がない限りは自分の住居にカギをかけて閉じこもることになります。テラスハウス時代にあった近所づきあいも、子供たちが空き地や道路で一緒に遊ぶこともなくなりました。こうなるとコミュニティ意識が育たないばかりか、近所に誰が住んでいるか知らないままになってしまいます。このため、住民の中には孤立感や社会からの断絶感が育つようにもなります。

1980年代になると、コンクリートの劣化や構造上の欠陥が目に見えるようになったことも加えて、このような集合住宅の社会問題は次第に認知されるようになりました。

たとえば、それほど高層というわけではありませんでしたが、マンチェスターのヒュームに建てられた住宅開発がいい例です。

バースにある有名な建築になぞらえ「The Crescents(クレセント)」と名付けられた5,300戸を擁する住宅地は、三日月のようにカーヴする巨大ブロックが4棟並べられ周囲を緑地が囲むデザインで建てられました。新築当時、建築デザイン賞を取るほど「名作品」と称えられた開発だったのですが、住民には不人気でした。

Hulme Crescents

The Crescents, Hulme(MMU Visual Resources)

Hulme Crescents

The Crescents, Hulme(MMU Visual Resources)

巨大ブロックの威圧感は「人間の住むところではない」、デッキアクセスの高層デザインは「子どもが育つ環境ではない」として、他の低層住宅に転居を希望する住民が後をたたなかったのです。結局、この巨大ブロックの建築4棟はすべて1990年代初めに取り壊されました。この住宅地は「スラムクリアランス」後に建てられた「ユートピア」のはずだったのですが、その夢はかなわなかったのです。

取り壊し後の再開発にあたって、過去の失敗の反省を込めてマンチェスター市は住民参加のヒューム再開発を行いましたが、その過程で住民が選んだのは低~中層の中密度の伝統的な住宅地デザインです。これは、かつて「スラム」と呼ばれて取り壊されたテラスハウス住宅地を近代的にグレードアップしたものになっています。斬新で目を引くトレンディな建築スタイルは建築家には賞賛されても、実際にそこで暮らす住民目線で見ると魅力的なものではなく、人々は伝統的なデザインの「普通の家」を望んだのです。

建築の形が人の暮らしに影響する

マンチェスター、ヒュームの「スラムクリアランス」で取り壊された、テラスハウスが連なった地域にはコミュニティがありました。トイレが外にあるような安普請の長屋でも、そこで暮らす庶民には、家族ぐるみの付き合いも助け合いの精神もありました。前庭もない長屋で、玄関ドアを開けるとそこが道路という環境で、そこは子供が近所の仲間と過ごす恰好の遊び場でした。

Hulme 1960s

1960年代のヒューム、スラムクリアランスにより取り壊されたテラスハウス(MMU Visual Resources)

そのコミュニティはスラムクリアランスで破壊され、立ち退きになった家族たちは「ご近所」を失いました。いったん引っ越し、クレセント団地完成後にその居住権をもらい高層住宅での暮らしを始めた人たちもいました。でも、そこには以前あった「コミュニティ」もなければ、ゴミ出しをするたびに会う「ご近所」さんもいないし、子供が遊ぶところもありません。

取り壊しにならなかった近隣地域には今でもこのようなテラスハウスが連なるところが残っています。修復改善されて使い続けられているテラスハウスは古くから住む高齢者夫婦や安い価格で買える不動産を求める若い家族、一軒をシェアして住む大学生たちなど、様々な人たちのホームになっています。そこには、親しくはなくても目が合えばあいさつし、近所で何かがあれば助け合う、ゆるいコミュニティ意識が存在します。

高層住宅や自動車がなかったとき、どこでもそのような暮らしをする人がほとんどでした。自家用車がなかった時代は田舎でも村や町など、歩いて行ける場所に人々が集まって暮らしていました。家を出たとたん、様々な人に出会い、共に暮らし、助け合う毎日で自然に共同体ができあがっていたものです。

ゲームもコンピューターもなかったという時代風景もありますが、子供は外で遊ぶのが普通でした。近くに野原や広場がなくても住宅地の道路や路地で近所の子供たちが集まって遊び、その中で様々な年齢や生い立ちの仲間との付き合い方、自転車やスケートボードの乗り方を学んだり、自然と関わったり、体を使う体験をしたり、見知らぬ大人に叱られたり親切にされたりして、独創性や他者への理解と共感などを育んできました。

都会の高層住宅住まいで外で遊んだり自然に触れる機会が減り、成長時に身体感覚が育たない子供たちも出てきます。他者とのかかわりが希薄になり、家族や学校や職場だけの「閉じた」関係だけで暮らしや人間関係が構築されると、何かうまくいかない時に息抜きや逃げ場のない世界で苦しい思いをする人もいるでしょう。

田舎にありがちな「濃い」人間関係が苦手で、都会的なライフスタイルが性に合っているという人もいます。けれども、他人とのふれあいがないと見知らぬ他者への関心が薄くなりがちです。家族や友人、学校や職場の仲間など、自分と似た人たちばかりと付き合っていると、世の中には様々な人がいるのだということに気が付きにくくなり、多様性のある考えや生活スタイルを受け入れにくくなります。

街のかたちが社会を形作る

ヨーロッパの多くの地域では古くからの伝統的な村や町の形態が残っていることで「公共」の意識がはぐくまれ、コミュニティが形作られてきました。車のない時代に作られた街には広い道路も作れず、昔ながらの低層建築物がそのまま残っていて、それを修復改善しながら使い続けているため、住む人が少しずつ入れ替わりつつ、コミュニティは続いていきます。

けれども1970年代くらいに自動車が増え始め、人々が自家用車を持つようになって変わっていった街もあります。また、初めから自動車ありきで郊外などに作られた住宅地開発もあります。

それが顕著なのは米国で、郊外の広い敷地に大きな道路を通し、庭やガレージ付きのゆったりとした一軒家が立ち並ぶ住宅地が次々に開発されました。大きな駐車場付きのスーパーマーケットやショッピングモールもできて、通勤も買い物もレジャーもマイカーでドアツードアでの移動です。こうなると、歩くことで偶然に人と出会うことも少なくなります。

郊外型のショッピングモール開発は車文化がいきわたったイギリスでも盛んになりましたが、そのせいでタウンセンターが衰退したこともあって、のちに「タウンセンターファースト」に方針が変わりました。日本では主に、車社会の地方都市で郊外型ショッピングセンターやロードサイド型店舗が盛んにつくられることによって、中心市街地がシャッター街となる現象が相次ぎました。この問題については下記の記事などにまとめています。

タウンセンターと郊外型大規模ショッピングセンター①

タウンセンターと大型ショッピングセンター②イギリスでは

古くからの地方都市の中心市街地は駐車に不便だったり、名のある全国チェーンのブランド店がなかったりして地方の地元民には不人気です。都会に比べ公共交通が不便で、一家に自家用車が1~2台ある車社会の地方住民、特に雑誌やメディアでおなじみのおしゃれなブランド店に魅かれる層にとっては「都会的な」ショッピングモールの方が魅力的にうつります。

けれども、車社会の前からある街には地元資本の商業店舗や飲食店、それから他の様々な機能も存在します。役所や図書館などの公的サービス、銀行、郵便局や医療機関、広場や遊び場、駅やバス停。そういうところで、人は見知らぬ他人と触れ合い、すれちがい、社会の多様性を無意識のうちに経験します。

郊外型ショッピングセンターやロードサイド店舗は、消費を目的にした商業空間であって「公共」の空間ではありません。そういう場所では自分と同じような所属の人とだけ交わることが多く、消費行動をしない人や自家用車を持たない人と交わることは少ないでしょう。そしてそれらの人々は、もともとあったタウンセンターが衰退していくと、個人的な空間に閉じこもるしかなくなり、人と出会う場所を失ったり、買い物難民になることもあります。

渋谷の公共空間の商業化の記事にも書いたように、都会の中心地でも、誰にでもアクセスできる公共スペースが商業化されることがしばしば起こります。地価が高い都心では、お金にならない公共空間や公的サービスを削るためのプレッシャーが強いため、自治体や住民の強い意志や支持がない限り存在があやうくなりがちです。その圧力にあらがえず、いつでも、どんな人にも開かれた公共空間がなくなると、地域社会のゆるいつながりは消えていき、コミュニティの維持は難しくなります。

人々が「新しいショッピングセンターができた」「おしゃれなお店が開いた」ととびつき、そのうち目新しさがなくなって忘れられるサイクルの陰で、少しずつ気が付かないうちに社会の公共性はむしばまれていきます。そして、それは一度なくすともう手遅れで、取り戻すことが難しいものでもあるのです。

米国型と欧州型の街づくり

例外もありますが、米国型の車中心の街づくりに比べて、長い歴史に根付いた街が多い欧州型は「歩く」ことが基本になった、小さいスケールの街づくりと言えます。

車社会が登場する前にできたヨーロッパの古い街では、広い道路を通したり新しい建物を建てることが物理的に難しいこともありますが、おもに住民がそれを望むため、昔ながらの街の形が残っています。建築デザインや素材に違いはあれど、ヨーロッパ中どこに行っても似たような形態なのが驚くほどです。

中心部に教会があり、ショッピング街があり、役所があり、広場がある。その外側にオフィス街や公園があって、その向こう側に住宅街や学校がある。人々は歩いて職場に行ったり買い物をしたり人と会ったりする。慣れ親しんだ我が街を歩く途中で様々な人とすれ違い、時にはあいさつをし、時には立ち話をする。


そのような街に住んでいる人たちは、自分たちの街を愛する気持ちが強く、コミュニティへの帰属意識もあり、目新しい「新開発」を望みません。基本は個人主義の欧州社会でも、公共の利益のためには個人のわがままを自制し、自分の家だからといって好き勝手な改築をしたり、奇抜なペンキを塗ったりして街の景観をそこなったりもしません。

そんな欧州でも車社会の波はやってきて、道路が拡張されたり、川や運河を埋め立てて新しい道路ができたりするところもありました。けれども、増えるばかりの交通量とそれにともなう大気汚染や環境破壊に警鐘を鳴らす人も増えてきて、今では車社会に適応してしまったことへの失敗を反省して、それ以前の歩行者を中心にした街づくりに逆戻りするところも出てきました。

オランダでは、このユトレヒトのように、道路を造るために埋め立てた運河をまた復活させるところがあります。

https://twitter.com/fietsprofessor/status/1489646033663631360?s=20&t=vqjeR2-4Tofh6tKe1CHk_A

オランダやデンマークなどに見られる、自転車や歩行者を優先する交通改革パリの15分シティ、イギリスのタウンセンターファーストなど、車社会から脱皮して、歩いたり自転車でアクセスできる、コンパクトな街づくりを目指すのが欧州の最近の傾向になっています。

それは、政府や自治体など行政主導のトップダウンの都市計画ではなく、一般市民が自分たちの街をどのようにしたいのかを話し合い、意思決定に積極的に参加して選び取り、行政と協力して行ってきた街づくりの結果です。

日本では?

これまで欧米諸国の例を挙げて建築や都市計画が人や社会に与える影響について考えてきましたが、日本ではどうでしょうか。

個々の建築物にしても、もっと大きな街の景観や都市計画、ひいては国全体の都市計画政策をとっても、それが人々や社会に与える影響について、それほど考えが及んでいないことが多いように見受けられます。

長期的な視点をもたず、その時の流行や目新しさで目を引く建物を建てて、その後のことは忘れて次のプロジェクトに取りかかる。最初から長持ちがする建物を造ろうという気がないのでコスパ重視で安普請で済ませるため、機能性や居住性は悪く、すぐに薄汚れて、維持メンテナンスもしない。数十年経ってみすぼらしくなったら取り壊してスクラップアンドビルドの繰り返し。

また、郊外に建てるショッピングセンターには自家用車がないと行けないので、車を運転しない学生や高齢者は足がない。バスや電車で行ける中心街にあった店やサービスは減る一方で商店街はシャッター街と化していく。自治体は財政が厳しくなるにつれて、それまで提供していた公的施設やサービスを縮小していき、市民は気軽にお金を使わずに行ける場所が身近になくなる。

これで住民がわが街に愛着を持ったり、街づくりに関わりたいと思うでしょうか。外を歩いてお気に入りの建物を眺めたり、公園や広場、図書館などの公共スペースで時間を過ごそうと思うでしょうか。子供たちが仲間と安心して遊べる場所はあるでしょうか。高齢者が自宅にとじこまらず外歩きをする安全な環境が整っているでしょうか。日々の生活では全く接点がない年齢や所属層の人たちが自然に共有できる場所があるでしょうか。

日本では英国にならって「孤独・孤立対策担当相」が新設されたそうですが、様々な国際比較調査を見ても、日本人は家族以外の交友関係が少なく、学校や職場以外の友人が少ないといった結果が出ています。英国レガタム研究所が行っている「繁栄指数」国際調査によると、日本は167か国中総合スコアでは19位なのに、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)だけ著しく低い143位(左から4番目の項目)となっています。ソーシャル・キャピタルというのは社会での(家族以外の)人と人のつながりのことで、たとえば地域社会での関係性を表します。
Legatum

人間の幸せというものは、収入や学歴、家柄や環境ではなく、この社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)で決定されるという研究もあり、世界幸福度ランキングで日本人が先進国の中では幸福を感じていないという結果の裏付けにもなります。

家族や親せき、所属が同じ人々や自分から望んで付き合う人だけでなく、名前も知らない他人や偶然すれ違う誰かと同じ場所を共有することで、人は社会の多様性や他者への配慮について学び、自由で柔軟なゆるい人間関係が作られ、利他的な感情や「公共」に対する意識が育ちます。そして、それを育むためには、個人空間や商業空間に囲いこまれた生活から離れて過ごせる公共空間が必要なのです。

建築を造る者の責任、市民の責任

M7程度の首都直下地震やM8~9程度の南海トラフ地震が30年以内に起きる確率が70%と聞くと、地震の少ないイギリスの人はよくそんなところに高層ビルを建てられるなと驚きます。耐震設計をすることで建物自体は倒壊しないにしても、火事が起こったり停電になったりする可能性は高いでしょう。高層住宅を見るたびにロンドンのグレンフェルタワーの火災事故の惨事を思い出してぞっとすると言う人もいます。

それでも日本の都心にはタワマンや高層ビルが建てられ続けるし、不動産投資も盛んだと聞きます。これらは、壊れること、壊すことを前提に建てているのでしょうか。そうだとしたら、数十年サイクルで建物が新陳代謝され景観が変わっていく街に人々は愛着を持つことができるのでしょうか。

天災リスクだけではありません。少子高齢化による人口減少、特に労働生産年齢層の縮小により年々経済状況が悪化しつつある日本の20~30年後を考えると、今建てている建物の将来がどうなるのか心配になってきます。東京がマンチェスターのクレセントのような巨大廃墟があちこちに残る場所になってしまうかもしれません。その頃、維持修復工事や取り壊しをする経済力が日本に残っているでしょうか。中国などの外資に頼ることになるとしたら「愛国心」の強い日本人は黙っているでしょうか。

建物をデザインしたり、街づくりをする建築家、政治家、自治体の専門家などは目先の結果ばかり追わず、自分たちが作る建築や街が一般市民や社会にどのような長期的な物理的・社会的影響を与えるのかについて責任を持つ必要があります。そのために時には社会学者や心理学者のインプットも必要になるかもしれません。

また、一般市民も「お上」に任せるのではなく、自分たちの街を自分たちでよりよくするために、当事者意識を育てる必要があります。タワマンに閉じこもり、自分たち家族だけが幸せならいいという人ばかりになったら、社会はあやうくなります。「公共」意識というものは、自分とは異なる人々との関係性や仲間ではない他人との共生から生まれるものだからです。

今でも社会関係資本が希薄な日本でこれ以上社会が脆弱にならないようにするために、人が造る建物や住むところについて今一度皆で考えてはどうでしょうか。それが将来の私たちや社会を形づくることになるのですから。

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