「働かないおじさん」の悩み解決法

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Business man

メルマガ読者向け「何でも質問コーナー」でいただいた相談に「自分は会社で『働かないおじさん』と思われているようだ。家庭にも居場所がないように感じるが、どうしたらいいか?」というものがありました。私の専門とは関係ないし、個人的な悩みで一般性はないのですが、日本社会の根深い問題を象徴している気がするので、こちらについての私なりの答えを紹介します。

何でも質問コーナー

メルマガ読者対象に行った「何でも質問コーナー」は都市計画・まちづくり、地方創生、地方自治、SDGs、イギリスについてのいろいろといった質問が多かったのですが、ちょっと変わったものもありました。50代後半還暦直前くらいの男性からのもので「勤続35年の会社員だが、最近会社の後輩から『働かないおじさん』と思われているようだ。家庭でも、妻や娘から煙たがられているし、会社外では知り合いもいない。これから定年に向かって、人生をどのように考えたらいいのか。」というものです。

どうして私に質問?と思いましたが、下記の「ブルシットジョブ」の記事を読んで、いろいろと考えさせられたのだそうです。これまで人並みに真面目に働いてきたつもりでいたのに、気が付くと周りの景色が変わっていて、自分がやってきた仕事は「ブルシットジョブ」だったのかと思いあたったとのこと。日本以外で働いてきた経験がある私には広い視野に立った考えがありそうだし、まわりに相談ができるような問題でもなく、面識もない私だからこそ質問ができると考えたらしいのです。

https://globalpea.com/post-work

私は女性だし、これまでこのような立場の人とは反対側にいたり、おもにその受け手となる人の話ばかり聞いてきた気がするので、自分自身の学びにもなりました。なので、たまにはこういう話を共有するのもいいのかもと思っています。

「働かないおじさん」

相談者は60歳くらいの男性で、大学新卒で入社した中規模の企業で長年それなりの仕事をしてきたそうです。管理職の立場にあり、ある部署を任され部下もかなりいます。それなりに苦労して会社のために尽くしてきたと思っているし、部下からもそれなりの信頼を得ていると考えていたそうなのですが、それが最近思い違いだったのかもしれないと感じてきたそうです。

特にそれが顕著になったのが、コロナによってリモートワークが導入されたことです。これまではオフィスで上司や同僚、部下と顔を合わせて阿吽の呼吸でやってきた業務が自宅勤務でオンライン化されたことで、ぎくしゃくしてきたのです。これまでPC関係のことは部下や事務担当に任せていたのでオンラインでのコミュニケーションが苦手。口先で指示や確認、報告をしておけばよかったことでも、いちいちメールでこなさなければならないのが苦痛。オンライン会議でもスムーズに意思疎通ができず、パフォーマンスが発揮できなくなった気がするそうです。

その陰で、これまでぱっとしなかったように見えた若い部下や地道な作業ばかり任せていた事務の女性がデジタル化によって生き生きと仕事をしているのを見ると焦りも感じます。そしてそのような立場にある人が自分のような人間を「働かないおじさん」と感じているのではないかと思うようになったということ。

この方の会社でも最近、デジタルトランスフォーメーション、ジョブ型雇用、男女平等、年功序列の見直し、働き方改革などといった方向に舵を切り始めていて、自分のように昭和的な働き方のままで役職や賃金も高い水準にあるミドルシニア層は、「働かないおじさん」どころかリストラのターゲットになりそう。これまで会社のために急な転勤も長時間労働もいとわず、いやな上司にも仕え、命令されるまま忠実に働いてきたのに。

大卒一括採用からの終身雇用、年功序列で得に専門性も育てず、会社の指示通り上意下達で動く都合のいい人材としてやってきた身なので、今さら専門性がないとか、アップデートできていないとか言われても今になって自分のキャリアについて見直そうという年齢でもなし。一応管理職とはいえ、これ以上の昇進も頭打ちでのぞめず、仕事への意欲もなければ、意味を見出すこともできなく、このまま定年まで逃げ切れるのかどうかという瀬戸際です。

今さら新しい働き方を身に付けるよりはそろそろ身の振り方を考え、これまで仕事にかまけてあまり気にかけてこなかった家族と楽しい時間を過ごすのもいいかもと思い、妻や娘と「たまには」とお出かけや旅行に誘ってみたそうなのですが、いい返事が返ってきません。それぞれ自分たちの友人と楽しくやっていて、今さらお父さんと出かけるなんてと煙たがられます。

定年になったとたん熟年離婚を言い渡されるという話も聞くし、自分もそうなってもおかしくない気もしているそうです。そうなったら自分は残りの人生をどうやって生きて行ったらいいのかというお悩みなのです。

反対岸にいる人たちの不満

これまで私がよく聞いてきた悩みはこの方と反対側にいた人たちの話でした。家庭を顧みない仕事人間の夫に対する不満を持つ女性、特に家事育児を丸投げされて、孤独感をもったり、仕事と家事育児をワンオペで負担させられて睡眠時間を削るしかないという女性たちの話。さらに「働かないおじさん」に対して不満を感じている若い人たちやそういう上司にうんざりした経験をしてきた女性たち。自分たちよりずっと高い報酬を得て身分もパワーもあるのに、ろくに仕事もせずいばってばかりで、中にはパワハラやセクハラまがいの言動をする人もいるということ。自分が女性ということもあり、私はどちらかというとそういう人たちに同情や理解をしていたのです。

私が日本の顧客相手に仕事をする時も、中高年齢の男性相手の場合、欧米諸国で仕事をする時とはちょっと異なる対応をされることもあって、日本のおじさんはめんどくさいと感じることもありました。みんながそうではないにせよ、若者や女性に対して親切にしているように見えて実は見下した対応をすることがあるのです。彼らは別に悪気があるわけではなく、無意識にそうしているようで、相手にどう思われているかということさえわからないようです。

でも、今回それをしている側に立っている人の話を聞いて「おじさんも大変なんだ」と思いました。彼らだって別にそうしたくて今の地位にいるわけではなく、日本社会や企業の構造がそうなっているにすぎず、その中で期待される役割を精いっぱいこなしてきた人たちなのです。

日本の会社風土で生きていく以上、自分ながらのキャリアや専門性を追求したり、家庭や趣味を大事にして仕事をおろそかにするような働き方では認められず、昇進ものぞめません。その世代の妻たちは専業主婦となるのが自然だったので、一家の大黒柱として経済的にも家族全員を支えなくてはという責任もあります。家のローンに子供の教育費が重なり、年々昇給をあてにするしかない、そのような人たちに何ができたというのでしょう?

この悩みはこのような立場にある個人の問題ではなく、日本社会のこれまでの価値観と、今現在アップデートされつつある働き方やキャリアの在り方、男女の役割といったような考え方がずれてきていることから来る、日本社会全体の課題なのです。

おじさんに忖度するのは不親切

「おじさん」たちが自分では気が付いていないまに若者や女性を見下してしまうのはある意味仕方のないことかもしれません。上司など自分より地位が高い人に対して、日本社会では特に、たてついたり意見を述べたりするのがよしとされません。受け入れられないと感じることを言われてもその場で自分さえ我慢すればことは収まるという場合、たいていの人はやり過ごすため、当の本人は気が付かないままだったりします。

東京五輪森喜朗会長の「女は話が長い」問題発言がいい例です。本人はこれまでずっとそのようなことを言ってきて問題がなかったので、悪いとも思わず言ったことが取りざたされて、本人も驚いたのでは。でもそれは周りが忖度してそのような発言に問題があると指摘してこなかったからでしょう。高齢で身分の高い人にはご意見をする人が少ないのです。この方の場合、ご家族の方でも意見を言うことがなかったのかもしれません。

こういう話を見聞きすると、文句を言わず許してきた周りにも責任があるのかもしれないと思うようになりました。イギリス生活が長い私は日本に帰るたびに女性の地位の低さにうんざりすることがありますが、いちいち波をたてるのもと躊躇し、たいていのことは黙って流してしまいます。でも、それでは日本社会はいつまでたっても変わらないし、森元会長のように自分でも気が付かないままに失言してしまったことで会長職辞任にまで発展するということもあります。その時は気まずくとも、その都度ご本人に忠言して差し上げる方が親切というものでしょう。

相手が年上だから地位が高いからと遠慮せず、若者でも女性でも自分の意見を堂々と言うことは、受け手にとってもメリットがあります。自分とは異なる意見でも聞く耳を持ち、それに対して対等に話せる雰囲気を作ることは多様性のある社会を築く上で重要なポイントです。自分の悪いところを指摘されてうれしい人はいないでしょうが、その時はむっとしても、問題を指摘されたことについて後で感謝されるということもあるでしょう。

自分と向き合う

この質問者への私なりの答えは「自分と向き合ってみては」ということです。

これまで会社人間として押し殺してきた自分自身のアイデンティティーについて今一度考えてみること。本当は何をやりたいのか、やりたかったのか。自分がやりがいや満足感、幸せを感じるのはどういう時か。組織にしがみつくのをやめて、自らの人生について主体的に解決策を考えるのです。若い人にとっては、それがこれからのキャリア構築の熟考段階となるかもしれません。シニア層にとっては、残りの人生を再出発するための準備期間になるでしょう。

その時に大切なのは「Unconscious bias (アンコンシャス・バイアス=無意識の偏見/思いこみ/ものの見方)」から自分を解放することです。これまで男性として、会社人間として期待されてきて、自分でもそうあるべきだと考えてきた自分自身の役割とか生き方にとらわれないこと。この思い込みは誰にもあるものですが、女性にはそれに気づく場面が人生において多いんですね。結婚とか出産とかという人生の節目において、自らの考え方や生き方をがらりと変える機会があるためです。

男性の場合、社会に出てからずっと期待される役目が変わらないということが多いため、気が付いていないことも多いし、周りもそれに合わせてしまいがちです。「出世しなければ」「家族を養わなければ」「もっと稼がなければ」とか「男だから強くあらねば」「堂々とかまえているべき」とかいうステレオタイプ的な考え方もそうです。男性本人だけでなく、その妻である女性もそう思っているかもしれないわけですが。

質問者の場合は、持ち家のローンも支払い済み、子供もすでに働いています。定年まで働けば退職金も年金も入るので、経済的には比較的安定した立場にあります。ただ、これまでずっと人生を仕事に捧げてきたため、特に趣味もなく、たまの余暇時間をもてあましてしまうそうです。

これを聞いて思い出したのが、イギリスの地方自治体で働いていた時の同僚が定年退職になった際、みんなが「おめでとう」と祝福する中、私が言った一言で気まずい雰囲気になったことです。地元の町で長年、都市計画家としていつも生き生きと仕事をしていた人なので、「定年になったらどうするんですか?することがなくなってしまうのでは。」と聞いてしまったのです。すると、いつもの朗らかな笑顔が一瞬消え去って「やりたいことがたくさんあるんだ、これから私は人生を楽しむのだよ。」とぴしゃり。悪いことを言ってしまったとうろたえてしまった私に、彼はいつもの笑顔に戻り、したいことリストを次々とうれしそうに聞かせてくれました。庭仕事、市民農園での野菜作り、ウォーキング、バードウォッチング、旅行、環境保護や動物愛護のヴォランティアとそのリストは山盛りで「なるほど、これではいくら時間があっても足りなさそう」とわかりました。

そういえば、イギリスの職場では誰もが短い勤務時間に精いっぱい働いた後はすぐに帰宅し、週末や完全に消化する年次休暇を使って、家族と過ごしたり、余暇を楽しんでいました。月曜の朝はお茶を飲みながら週末に何をしたかのおしゃべりに花が咲きました。散歩、旅行、庭仕事、山登り、乗馬、犬の散歩、子供と公園で遊ぶ、庭仕事、ウォータースポーツ、ヴォランティアなど人それぞれですが、誰もが何かしら趣味や社会活動にいそしんでいて、余暇時間がいくらあっても足りなさそうです。フレキシブルワーク制度を利用して時短勤務を試みる人もいたし、早期定年退職に踏み切る人もいました。日本人に比べると「仕事は人生の一部」と割り切る人が多いのです。

質問者の方にも「人生において自分がしたいことは何なのか」ということを今一度考えることをおすすめしました。そのためには、日常の過ごし方を見直したり、新しいことをインプットしたり、とりあえず何か新しいことをやってみるのもいいかもしれません。

そういえば、グローバルリサーチが行っている「SDGs講師育成講座」を受講している/した人の中にも、定年後の人生において社会課題を解決するために活動したいからという人達が男女を問わず何人もいます。国連が掲げる「持続可能な開発目標」の中でも、貧困や環境問題、教育といった分野などで解決すべき課題について問題を提起したり、世の中に役立ちたいという理由です。先が見えてきた残りの人生だからこそ、広く世界に、また次の世代にも貢献する何かを残したいという気持ちが強くなるのでしょう。

高度経済成長期に育ちバブルの時代を生きていて物質的には豊かな暮らしを満喫してきた世代には、人生における満足感や幸せというものはお金では買えないということがよくわかっているのかも。自分のことだけを考えるのではなく、社会のために自分に何ができるのかということを追求する、それこそが究極の幸せにつながるのかもしれません。

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