最近、まちづくりやコミュニティにおいて、「場所」や「社会」について目を向けることの重要さについて書いてきましたが、今日はそれとは別の視点で過去や未来など「時間」軸について考えてみます。空間での横のつながりだけでなく、今を生きている者だけでない、時間を超えた縦のつながりについて。世界は今の自分たちだけのものではなくて、私たちは長い流れの中の間借り人に過ぎないという話です。
次世代に何を残すか
気候変動問題にまつわる気候正義の考え、建築や街づくりが社会や地域に長期的に与える影響、神宮外苑再開発にまつわる五輪大会のレガシーなどについて考えるたびに「私たちは次世代に何を残すのか」という疑問が頭をよぎります。こういう考えって若い人にはピンと来ないのかもしれず、子供に言わせると「年を取ったしるしなんじゃない?」とばばあ扱い。でも、私の場合は職業柄、それから趣味の庭仕事から培ってきた影響があるのではと心の中で反論します。
イギリスの自治体で都市計画家として働き始めた時はじめて担当したプロジェクトは「ミレニアム・アーバン・フォーレスト」でした。イングランド中部の「ブラック・カントリー」と呼ばれる地域に2000年という節目を記念する森を造ろうと、複数の自治体が協力して植樹プロジェクトを手がけたもの。産業革命の舞台ともなった工業地帯で、急速な産業化と都市化のために田園地帯を根こそぎ工場や住宅地に変えていったあげく、煙突からの煙で「ブラック」になってしまった地域に「都市の森」を造ろうとしたのです。
地域内のいたるところ、個人の庭、公園、道路ぞい、住宅地、野原、工場敷地などに、1本から数100本という異なる規模の植樹をしました。道路沿いなどはかなり大きい木を植えて保護柵を施しますが、野原などに植える場合はほんの小さな苗木です。葉っぱもない、1m以下の棒のようなものを植えて簡単なシェルターをつけるだけ。植えたばかりの時はシェルターしか見えない貧相な風景で、本当にこれが育つのだろうかと心配になるほど。
それから職場を変え、自分が手掛けた木々のことも忘れていたのですが、20年近くたって、知り合いが植樹した地域の写真を送ってくれました。見ると、苗木が見上げるほどに育ち、貧相な野原が緑あふれる林になっていて目を見張りました。自分がその木を見ることはもうないかもしれないけれど、他の誰かがその恩恵を感じてくれる、そして自分がこの世にいなくなった後も大樹として育ってくれると思うと、心に小さな灯がともります。
木を植えるだけでなく、イギリスで都市計画の仕事をするには、いつも長い目で街づくりを考えることになります。新しい開発について検討する時にも、今ある街にどう溶け込むか、数十年経ったときにどのようになるのかを様々な視点から検討します。目新しい建築物を後先考えず許可するということはないし、建築家や開発業者も周囲の景観や環境への影響などを熟考するように促されます。
物事を長い目で考える習慣がついたのには、趣味の庭づくりも貢献しているようです。カラフルな一年草を買って植え、枯れたら捨ててまた新しいものを買って植えるというようなガーデニングスタイルだと別ですが、私は木や低木、多年草や球根を植えて長い期間をかけて育てるのが好きです。
木や低木は大きくなるのに時間がかかるし、藤も植えてから藤棚をおおって花房が垂れるようになるまで10年かかりました。その前に引っ越ししたら、その恩恵を受けるのは次に住む人となるわけですが、それでも自分が残した何かが後から来る誰かのためになるのなら世話をするかいがあるというものです。花より林檎の木を植えてほしかったという人もいるでしょうが。
The Good Ancestor よき先人になる
最近読んだ本に「私たち人間は長い歴史の1ページに存在する間借り人であり、先人から受け継いだ遺産に感謝し、次世代に何が残せるのかを考えるべきだ」という一節がありました。
’’The Good Ancestor”という英語の本ですが、日本語訳も出ているので、興味がある方は手に取ってみてください。(『グッド・アンセスター わたしたちは「よき祖先」になれるか』)
この本は、将来に生きる人たちが今の私たちの時代のことを思い出す時に「よき先人」だと評価してもらえるのか、それとも「ひどいことをした人たちがいた野蛮な時代だった」と軽蔑の目で見られるのか、想像してみようと語りかけます。
今の忙しい時代、私たちは毎日の生活のこと、政治家は次の選挙のこと、ビジネスマンは今期の利益のことだけを考えがちです。もちろん、将来のために貯金しようとか、投資しようとかということはありますが、100年先のこと、自分が死んだ後のことを考えて行動する人は少ないのではないでしょうか。この本は今の私たちが楽しみたいから、豊かになりたいからといって、後先考えず好き勝手なことをすることで「次世代を植民地化する」ことにならないかと考えるべきだと語ります。
たとえば私たちが飛行機や自動車に乗ったりエネルギーを浪費することで温室効果ガスが排出され、気候変動問題が起きて損害を受けるのは次世代の人たちです。若い環境活動家グレタ・トゥーンベリは「私が75歳になった時、子供や孫はまだ何かができる時間があった時になぜ行動しなかったのかと責めるでしょう。あなたたちは子供たちを愛していると言いながらその子供たちの未来を奪っているのです。」と語りました。
気候正義については先進国と発展途上国の間の問題として扱われることが多いのですが、世代間の気候正義も同様に深刻です。今すでに気候変動で被害を受けている人たちは(無視されるかもしれないが)少なくとも声を上げることができても、将来世代の人たちはまだ生まれていなかったり、子供だったりするからです。声なき声を聞くのは今の私たち、大人たちの想像力にかかっています。
カテドラル思考と神宮外苑
’’The Good Ancestor” では「カテドラル思考」についての考えを紹介しています。ガウディが1882年に設計を引き継いだサグラダ・ファミリアは彼が亡くなった1926年からずっと建築工事が続いていることで有名です。それよりもっと長いものでは、ドイツのウルムという街の教会があって、14世紀に建築が始まって完成したのが19世紀だというのです。自分たちが生きている代に完成せずとも、次世代のために建築を続け、そのための資金を寄付し続ける人がいます。これはキリスト教という宗教があるからに限りません。
今、高層ビル再開発が行われようとしている明治神宮外苑も100年前の先人が残してくれたもの。モミの木以外、
マシュマロ脳とどんぐり脳
マシュマロ・テストって聞いたことがありますか。子供たちの目の前にマシュマロを置き「すぐに食べてもいいけれど、食べずに15分我慢したら2個マシュマロがもらえるよ。」と伝える実験です。すぐに目の前の1個だけを食べる子が多いのですが、2個もらえるまで我慢する子もいます。のちに追跡調査をしたら、我慢できた子は大きくなってから優秀な成績をおさめたり、成功していたりする率が高かったというもの。目先の利益に目がくらむと将来成功を逃すかもしれないということでしょうか。これを「マシュマロ脳」とするなら「どんぐり脳」というのもあると’’The Good Ancestor”は語ります。
将来のことを考え、今どんぐりを土に埋めて育てるという長期的思考です。15分後のマシュマロのため、月末の給与のため、来年の受験のために今我慢したり努力したりすることはできるかもしれませんが、その恩恵が訪れるのが長くなればなるほど、それは難しくなります。今どんぐりを植えても木が大きくなるころには自分はこの世にはいないかもしれません。それでも、先人は私たちのために、そして私たちの後の世代のために木を植えてくれたのです。それを切ってしまうのは簡単ですし、そのあとに建てるものから開発利益があるとなれば、利権者の目がくらんでしまうのも理解できないこともありません。けれども、私たちはそれを許してしまってもいいのでしょうか。
五輪大会のレガシー
2024年に五輪を開催するパリが目指す五輪大会レガシーと2020東京大会のレガシーを比べてみると、その違いがくっきり。
イダルゴ市長は、市内にグリーンスペースが9.5%しかなかったパリを「グリーンでクリーンなシティー」に生まれ変わらせることをパリ五輪大会のレガシーとして挙げています。
エッフェル塔周囲広場を公園として緑化し、コンコルド広場も緑豊かな空間に生まれ変わらせ、セーヌ川をきれいにする。自動車利用を最小限にして、自転車や歩行者、公共交通機関利用を優先するサステイナブルな大会にするという取り組み。
次世代のパリ市民や世界中からの訪問者にとって、大きな恩恵があるレガシーと言えるでしょう。
それにくらべて、SDGsをうたった2020東京五輪のレガシーはどういうものになるのでしょうか。100年前の先人から受け継いだ外苑の樹木を伐採して代わりに高層ビルを建てること?
これから100年後の次世代の人たちは過去の歴史を振り返って、「100年前の人たちはよき先人だった」と考えてくれるでしょうか。
世界は今の自分たちだけのものではなくて、私たちは長い流れの中の間借り人に過ぎないという謙虚の気持ちを持って、今一度考え直してみるべきではないかと思います。
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