おじさんに足をどけてもらえない地方女性の悩み:質問コーナー②

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Wedding

今回の記事はメルマガ読者の質問コーナーの答えです。特に保守的な地方で顕著なのですが、時代の移り変わりに関係なく男女の役割が固定していて、若い女性の意識にずれが生じ不愉快な思いをしている人がいます。そういう女性は機会があれば東京などの都会に出て行ってしまうため、地方には若い女性がいなくなります。地方で少子化、過疎が進む背景にはこのような状況があるのに、おじさんばかりが音頭を取り頑張っても問題が解決できるわけがないし、誰も幸せになりません。

ある女性の悩み相談

少し前にメルマガ読者質問コーナーの答えとして「働かないおじさん」の悩み解決法という記事を書きました。これは実は珍しい質問だったから書いたのであって、若くもない男性からこのような悩みについて正直に語られることは少ないのです。その逆の女性からの悩みはよく聞くし、実際よく見る風景でもあり、女性である自分自身も経験したことがある、おなじみの話です。

例えば、先日いただいたメルマガ読者の質問に、地方に住む若い女性から「地元でまちづくり活動に参加しているのだが、話を聞いてもらえず、どうしたものか」というものがありました。

この人の場合は、地方から東京の大学に行き就職した後、出身地である地方の町にUターンしたそうです。地元を活性化したいという思いから、地域のまちづくりをするための活動に参加していているものの、なかなか自分の意見を言う機会が与えられないということ。集会では女性はもっぱら聞き役、またはお茶くみや雑用を期待されているだけだとこぼします。

その地の男性は女性を下に見ていることが言葉のはしばしに現れ、しかもそれが問題だとも思っていません。他の女性はみんな控えめで、男性のわき役としての立場に慣れきっていて、やはりそのことを疑問に感じていないようです。周りの女性にそれとなく意見を聞いてみても「さあ、私なんかにはよくわからないから○○さん(男性リーダー)にまかせたらいいのでは」という感じ。自分だけが積極的に意見を言うと「生意気な女」と思われている気がするし、同胞である女性からの共感も得られない雰囲気で、なじめないというのです。

「やはり私には田舎暮らしは無理なのかもしれない、東京に戻った方がいいのでしょうか?」という質問でした。

地方のまちづくり現場で見てきたこと

このような風景はこれまで日本の、特に地方での、まちづくりや地域社会の活動を見てきて私自身も感じてきたことです。別にそういう場に限ったことではなく、政治や経済、職場でも同様ですが、日本では意思決定層が中年以上の男性で占められていることがほとんどで、「女子ども」は疎外されがち。(「子ども」のうちには若者も入るかも。)「女性が活躍する社会に」と言いながら、「女性活躍を応援する会」の顔ぶれが全部中高年男性だったりするんですね。実際に物事を進めたり決めたりするのはおじさんなのです。

もちろん、中にはそうでないところもあるし、女性でも活躍している方もいますが、そう多いわけではなさそうです。ずっとそういう状況だったので、女性は女性でそういうものだと「女性の役割」を内面化して、男性にまかせるのをよしとしているところもあります。質問者の女性が住む地域の集まりでは、彼女が何か意見を言うたびに「女が何を言っているのか、何もわからないくせに」という雰囲気があり、土足で踏みつけられている感じがするそうです。

男性に「女性を踏みつける足をどけて」と言ったのは、2020年に87歳で亡くなるまで米国最高裁判所判事を務めたルース・ベイダー・ギンズバーグ(通称「RBG」)です。

彼女が若かった頃は米国でも男女差別があり、1956年にハーバード大学に入学したルースは、「男子の席を奪ってまで入学した理由は?」と聞かれました。500人の新入生のうち女性は9人。彼女は首席で卒業したにもかかわらず、女性という理由だけで就職も困難でした。けれども、その後判事となり、男子大学の女子学生排除や男女の賃金格差撤廃など、判事の仕事を通して男女差別解消に取り組みました。同僚の男性判事たちは男女差別が存在するということに気が付いてさえおらず、彼女はそれを果敢に指摘し続けたそうです。

ジェンダーギャップ指数が146か国中116位のジェンダー後進国日本では、政治の世界はもちろんですが、地域社会活動においても男性が女性の頭の上に足をのっけたままという風景をよく見ます。生活者の半分かそれ以上を占める女性が、地元のまちづくりについて意見を言わず、それを期待されないというのは奇妙です。これまでの女性はそういうものだと思ってきて、それを許容してきたのかもしれませんが、イマドキの若い女性が違和感を抱くのも無理はありません。そういう女性のうち、声高にそのような状況に異を唱えて事態を変えようとする人もいるでしょうが、多くの人は何も言わないまま、進学や就職の機会があれば地元を出て東京などの都会に出て行ってしまいます。そしてそのまま、地元には戻ってきません。

私の若い頃からの友達が東京に住んでいますが、鹿児島出身の彼女は大学進学を機に東京に出て以来、ずっと東京暮らしです。母親がいた時は盆暮れには故郷に帰っていたそうですが、その母親亡き後はお正月にも戻らないそうです。帰るたびに父親や親せきの人などにいろいろ言われるので辟易するからということ。最初のうちは「まだ嫁にいかないのか」、結婚すると「子供はまだか」、女の子を生むと「次はいつ生むのか」、2人目を生まず仕事復帰すると「子供を預けてまで仕事をするのか」という感じ。足が遠のくのも無理はないかもという気がします。

女性ならではの視点と多様性

私がイギリスの地方自治体で都市計画家としてコミュニティの改善プロジェクトをしていた時、よく地元住民やNGOなどと集会を開いて話し合いました。誰もが参加しやすいように、平日の夜などに地元の教会やコミュニティセンターなどで行ったものです。参加者は大体男女半々で、様々な年齢層の人がそれぞれの意見を活発に述べていました。その中には、女性だからこその視点のものもあり、有意義なインプットとなりました。

たとえば、冬など日の短いイギリスでは、夜道を一人で歩くのが怖いため、要所要所に街灯を取り付けてほしい、公園に樹木があるのはいいのだが、あまりに茂みが密だと、その陰に隠れている者がいるのではないかと不安になるので、樹木の下枝を取り払った方がいいのではないかとか。さらに、子供を持つ母親からの要望で、子供の遊び場のフェンスのギャップから子供がすり抜けてしまうのでもっと小さくしてほしいとか、ベビーカーを押すのに不便な段差があるので解消が必要だとか。その人たちが指摘しなければ、役所の職員は気が付かなかったことです。

ベビーカーについての指摘には、車椅子利用者が賛同するといったこともありました。そういえば、その当時都市計画課のバリアフリー担当をまかされ、様々な障害がある人たちと定期的に集まって、どんな人でもアクセスできる街にするための取組も行っていました。女性に限らず、さまざまな状況にある人々がみな安心して暮らすことができる地域づくりをする事は、多様性のある社会を作ることにも貢献します。

自分では気が付かなかった点を、異なる立場や状況にある人から指摘されて初めてわかるということもあるものです。同じような状況、所属、性別、年齢の人ばかり集まって話し合ったり意思決定をすると、どうしても抜け落ちてしまう点が出てきます。住民の半分を占める女性の視点さえ不在なまちづくりが完全なものになるとは思えません。

女性の地方脱出の本当の理由

女性不在のまちづくりは地域のためにならないのはもちろんですが、女性たちをも幸せにはしません。新しい価値観を身に付けた若い女性が地方から都会に移住してしまうのは、教育やキャリアの機会がないからとか、遊ぶ場所がないからだけではなく、保守的な地方の風潮に違和感を持つからということも大きいはず。田舎の閉そく感が窮屈なために出ていく女性は、たとえ仕事の機会があっても自由な都会から戻りたがらないでしょう。

おじさんもつらいのだという話をしたけれども、男性は何と言ってもマジョリティであり、これまで社会を支配をし、周りからちやほやされ、意見も求められてきました。女性は踏みつけられ、意見を言うことを許されず、男性を立てることを期待されます。周りの女性もずっとそうしている地域では、それが当たり前になってしまい、女性として果たしている役割が自然なものだと疑わない人もいます。若い女性はそうではないと気が付いていて、それが都会に出ると上書きされて、そうなるともう田舎には戻れないのです。

地方ではいくら女の子が生まれても18歳でいなくなって戻って来ないため、母親予備軍がおらず、少子化と人口減少が止まらないというスパイラル。地方から東京に行く女性は結婚したり子供を持つ率が低いのはデータからも見て取れるため、日本全体の少子化も進むというわけです。

それを止めるためには女性に高等教育をすすめない方がいいと言い出す人もいますが、これでは、誰も幸せにならないどころか、貴重な才能を無駄にしてしまいます。性別などの属性で人を縛らず、誰にもあるそれぞれの生き方や意見を尊重すべきなのは、都会でも地方でも同様です。そうすることでみなが暮らしやすい社会になり、そんな自由なところなら、田舎に残りたいとか地方に移住したいという女性も現れるでしょう。

おまけ:恋愛相談

別の人ですが、やはり地方に住んでいて、同じような状況にある若い友人が恋愛相談をしてきたことがあります。周りからうらやましがられるようなエリート男性に好かれていて、結婚相手としては特に不満もない人なのですが、自分を「かわいい女の子」として見てくれないところが気になるそうです。もう一人、学歴や経歴はそれほどでもないが、彼女を人間として尊敬してくれている男性がいて、その人は彼女の意見や生き方を理解し、尊重してくれるとのこと。どちらを選んだらいいのか悩んでいるという彼女に、もちろん自分で選ぶべきことで、私があれこれ言うことではないけどと前置きして、私なら後者一択だと答えました。

実は、私も若い頃似たような経験をして、周りから「玉の輿に乗れるのにもったいない」と言われるような人としっくりこないため、イギリスくんだりまで来た人生でした。そして、この地で自分を「若い女の子」ではなく、人間として尊敬してくれる人に出会い、共に生きていくパートナーとして選びました。そういう人が身近にいたら、いくら外の社会で外人だから、女性だからと他の人に足を踏まれようと、何とかやっていけるものです。

男性に「足をどけて」といったRBGを支えたのも学生結婚をした夫です。同じ弁護士である彼は、彼女の才能を早くから認め、家事育児を一緒にこなして、彼女のキャリアを応援しました。彼女は「大学時代にデートした多くの男性の中で、私の外観ではなく、頭脳を評価し尊敬してくれた男性は彼だけだった」という理由で結婚を決意したそうです。イギリスにはサッチャーやメイ元首相、故エリザベス女王など国のトップに女性が立ってきましたが、彼女たちの陰にもいつも支えとなるパートナーたちがいました。

若い男性が「自分は外見もよくないし、学歴もなく、安月給なのでモテない」とこぼしつつ、かわいい女の子とのデートを夢見るという話をよく聞きます。私に言わせると、女性にモテるのって簡単です。女性を人間として扱えばいいということだけ。少なくとも私はそうでした。

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