先日イギリスの街で白髪の高齢女性が「ずっと昔からこんな感じで乗ってるの」と言わんばかりに、ラレーのヴィンテージっぽい自転車にスカート、頭にスカーフを巻いて乗っているのを目撃し、つい見とれてしまいました。こういう光景って日本ではよく見るのにイギリスではほとんど出くわさないからです。どうしてなのでしょうか。
ママチャリ文化 vs ロードバイク文化
日本では俗に「ママチャリ」と呼ばれる安い自転車が手軽に手に入り、ちょっとそこまでのお出かけに普段着にサンダルばき、ヘルメットなしで歩道を通れる気軽さがありますが、イギリスではそうはいきません。子どもでもない限り、自転車は基本的に自動車と同じように道路を走り、交通規則も守らないとならないのです。幅の広い歩道や歩行者天国となっている道路でスペースがあるところでも、特に自転車通行可能という表示がない限りは自転車で通ることはできません。それで自転車に乗るとなると、自転車専用道がない限りは車道の左端を通るわけですが、ヘルメットなしでよろよろこぐようでは交通量の多いところでは乗るのが怖くなってしまいます。
そのためもあり、イギリスでサイクリングをするというと、サイクリングギアに身を固めロードバイクで道路を突っ走るか、車が通らない専用レーンや山道などをマウンテンバイクなどでレジャー的に楽しむかになることが多く、買い物や通勤など日常の移動のために自転車を利用する人はあまり多くないのです。
ブラドリー・ウィギンスをはじめとするスカイ・チームがオリンピックやツールドフランスで活躍するようになってからイギリスではロードバイクがブームとなり、高価な自転車を購入できる男性中年層を中心に自転車熱が高まりました。田舎道に行くと、チーム・イネオスのユニフォームに身を包みピナレロなどの高価なロードバイクに乗った男性がびゅーんとすごいスピードで突っ走っているのに出くわしたりします。けれども、街中をカジュアルに走るシティバイクはあまり見かけないのです。
日本だけ?ママチャリ文化
日本では「ママ」に限らず様々な人が足の延長でママチャリに乗って、比較的短距離を移動しています。ちょっと駅までとか、子供を乗せて保育園の送迎や買い物に利用したり、学生の通学にも欠かせない移動手段となっています。自転車が歩道を通行することも許容されているし、自転車を止めて置ける駐輪スペースもあちこちに確保されていてママチャリ文化は整っているといえるでしょう。
これはスポーツやレジャーとしてでなく日常的に移動の手段として自転車に乗りたい私のようなものにとってはうらやましいことです。実際、日本でママチャリ文化を「発見」した外国人はその利便さに感心することが多いようです。ロードバイク派の連れや息子にとっては歩道をとろとろ走るのはまどろっこしいようですが。
欧米の自転車天国といえば、オランダや北欧諸国が頭に浮かびます。そういう国では老若男女問わずみんなが普通のファッションで気軽に自転車に乗っているのを見かけます。人よりも自転車の数が多いと言われるオランダは地形的にも平らだから自転車が多いのかと思いきや、昔からずっとそうだったわけではありません。1970年代にほかの国と同じように自動車が幅をきかせていたところを考え直して、交通安全と環境のために自転車利用を推進してきた結果なのです。市中心部の車両通行を禁止したり、自転車専用道を整備したりする取り組みを長年続けて、今では「女王様も自転車で買い物に出かける」自転車先進国となっています。首都を比べてもロンドン交通における自転車利用率は2%なのにアムステルダムでは38%に上ります。
イギリスにも自転車利用を推進しようとする動きはあるのですが、あまりその運動は盛り上がっていません。理由としては自家用車利用率が高く自動車産業が幅をきかせているのもあるし、雨が多く寒い天候のせいもあるでしょう。またスポーツ・レジャー目的のサイクリストはママチャリ文化とは一線を画しているため、自転車ファンでも移動のためのカジュアル自転車利用運動に熱心とは限らないこともあるのかもしれません。
イギリスにもママチャリ文化はあった
とはいえ、イギリスにもかつて自家用車が浸透していなかった頃までは「ママチャリ」文化があったのです。私が街で見た高齢(80歳くらい)の女性が乗っていた自転車メーカー、Raleigh(ラレー)が自転車生産を始めたのは19世紀の終わり。男性用はもちろん、女性用にもスカートで乗れるようにトップチューブを低くカーブさせたデザインの自転車を作っていました。
イギリスの古い映画などでも見かけるように、買い物や通勤に自転車を利用するのは普通で、女性もスカート姿で乗っていたものです。自家用車が普及するようになっても男性は自動車で通勤、専業主婦は自転車で近所に買い物や用足しにというのが普通でした。ラレー・レディもたぶん昔からずっと同じように自転車に乗って街に買い物に行っているのだと思います。さっそうとしていて、私もあんな風になりたいなと見とれてしまったのですが、考えようによっては交通量の多い道路の端っこをヘルメットならずスカーフ姿で走るのはあぶなっかしいようにも思えます。ラレー・レディーも実は子供や孫に「おばあちゃん、危ないからやめて」と言われているのかもしれません。
本格的ギアじゃないと危ないか
ところで「MAMIL(マミル)」という言葉を聞いたことがありますか?「Middle Aged Man in Lycra」の略なのですが、サイクリング用のぴちぴちジャージに身を包んだ、(時にお腹が出ていたりもする)高価なロードバイクに乗った中年男性のことを指します。こういう人たちはRaphaのようなブランドサイクリングギアに身を包みヘルメットや手袋、シューズなどに至るまで高価な自転車と同じように本格的なサイクリングファッションで身を固めています。
もちろん、そういう服はサイクリングに最適化されており機能的なのでしょうが、本格的なサイクリングギアを着るのは体形的に自信がなかったり、気恥ずかしいと思う人もいるでしょう。クリス・フルームならまだしも、ぴちぴちジャージではお腹のぜい肉も隠せずMAMILというのはそういうおじさんを半ば揶揄する呼称でもあり、自虐的な意味合いで使われることもあるのです。若くスリムな人は高価な自転車を買うお金がなかったりするので。
女性なら特に、移動用の手段として自転車を使う人たちは普段のファッションのままで乗りたいし、ヘアスタイルが台無しになるヘルメットも避けたい。それに目的地で仕事や人と会う予定があれば、スカートにハイヒールやサンダルを履きたい人もいます。でも、イギリスではそういう服装で自転車に乗るなんて危ないと思われることが普通です。私も自転車に乗るときは短距離でもスカートやハイヒールは避けるし、本当は嫌いなヘルメットも着用します。
けれども、オランダをはじめとするヨーロッパ諸国ではヘルメットなしで普通の服装で自転車に乗っている人が多いのです。中には、子供を乗せている人もいます。
Mother with her children on bike in 2020 pic.twitter.com/xULYBXAXjb
— Pinar Pinzuti (@PinarPinzuti) July 30, 2020
Every day, amsterdam pic.twitter.com/LsTTDYbsXK
— Jose manuel de arce (@j0sema) July 31, 2020
こういう写真を見て「うらやましい」と思う人もいれば「あぶないじゃないか」とか「親としての責任感が欠如している」という人もいます。もちろん、自動車と衝突するなどの交通事故にあったらと思うと後者の気持ちはもっともです。
でも、車と衝突するとなるとそれは自動車を運転する人の不注意が原因であることがほとんどでしょう。本来は運転手が歩行者や自転車利用者をも含む道路利用者すべてに注意して運転するべきなのです。潜在的な被害者が加害者のために我慢を強いられるのはフェアではありません。
そして、今のイギリスで自転車に乗るのが怖いのはそうする人が少なすぎるため、運転手がサイクリストの存在に気が付かないことがあるからです。日常的にある程度の数の自転車が道路を走っていれば、運転手もそれなりに注意することになるでしょう。
自転車利用者が多い国では既にそういう文化が出来上がっているので、車を運転する人も常に自転車の存在に注意しているし、自転車利用者を優先して運転するのに慣れてもいるものです。それで、自転車に乗る人はヘルメットなしでも、子供を乗せていても安心して通行できるのでしょう。
そもそも自転車用のヘルメットは車との衝突事故から着用者を守るためというよりは、転倒時に頭部を守るためにデザインされているとヘルメットのデザイナーは説明しています。そして、自動車を運転している人はヘルメットをしている人をより安全だと考えがちなので、かえって危険なケースもあるのです。
自転車用のヘルメットは車との衝突事故から着用者を保護するためというよりは転倒時に頭部を守るためにデザインされている。
車の運転手はヘルメットをしているサイクリストがより安全だと考え、追い抜く時など、間にあまりスペースをとらない傾向がある。https://t.co/K3PK58Bd4h— グローバルリサーチ【都市計画・地方創生】Global Research (@GlobalResearc16) July 12, 2020
コロナ後の自転車利用
新型コロナウイルスの影響でコロナ後の交通手段に徒歩や自転車を推奨する国が多く出てきました。イギリスではジョンソン首相が肥満対策としても自転車利用を推進する取り組みを発表しています。これまで自転車利用を呼び掛ける運動はあれども政府や自治体はなかなか動きませんでした。けれども、コロナ後の交通手段として自転車政策に力を入れることに注目が集まり、各国でサイクリング熱に追い風が吹いています。
ロックダウン中に自動車の交通量が減った中、自転車に乗る人が増えたのを機に、各国で「ポップアップ・サイクルレーン」とか「コロナ・サイクルレーン」として道路の一部を自転車専用に利用するところが増えました。市長が熱心なパリではこれまで車に占領されていたシティセンターが生まれ変わりました。
Paris is young again.
By @schlijper pic.twitter.com/ssWL09f5J7
— createstreets (@createstreets) July 21, 2020
混雑する公共交通機関にはまだまだコロナ感染のリスクがあるし、気候のいい夏というタイミングが良かったこともあって、パリでもロンドンでも自転車を利用する人が急増しているようです。そして、各国ではこの動きを歓迎し、これからもこの傾向が続くようにさまざまな自転車優先政策を導入しています。
道路は誰のもの?
ロックダウンが緩和され、だんだん人が街に戻るようになってからは、道路スペースをけずって自転車や歩行者を優先することについての批判も出てきています。コロナ感染を避けて公共交通機関を使わず自家用車で通勤したい人にとってはレーン削減のために起きる交通渋滞の問題があるし、これだけ多くの自転車利用者に慣れていない運転手は事故を起こさないように注意が必要ともなります。交通規則を知らなかったり信号無視したりして自ら危ない行動を起こす自転車利用者も出てくるでしょう。
さらに、マナーの悪い自転車や電動スクーター利用者が歩道を利用することで、歩行者も迷惑をこうむったり、危ない思いをしているという報道もあります。自転車利用者が歩行者に対して加害者/潜在的加害者になり得るということも忘れてはいけない問題です。
前述したように、ヘルメットなしとか「不適切な」服装で自転車に乗ったり、大きな荷物や子供を乗せて危険な乗り方をしている自転車利用者を批判する人もいます。現に、自転車にかかわる交通事故や事故まがいの出来事があちこちで起きているのは不可避ともいえます。
それでは、どうしたらいいのでしょうか?
理想は道路を利用する人みんながお互いを尊重しあい、道路スペースを共有することでしょう。また、異なるタイプの利用者の利害が一致しないときは、道路上の弱者が強者より優先されるというルールが必要です。
道路上のパワーと責任が比例するという、道路ヒエラルキーの考え方は下記の図に象徴されています。
現代の道路は自動車の利便が第一に考えられ、物理的にも大きなスペースが割かれています。けれども、公の道というものが自動車に占領されるようになってから、まだ70~80年しかたっていないのです。1920年代はこんな感じでした。
Mother with child on her bike
~ 1920s (via @davidguenel)If your first response to such a scene is fear-related, you have been carwashed. pic.twitter.com/oThwq50NFw
— Cycling Professor (@fietsprofessor) July 29, 2020
ここで今一度モータリゼーションの前に戻って、道路スペースをすべての利用者が共有する考えに立ち戻ることが必要なのではないでしょうか。オランダや北欧はすでにそれに向かっているのです。
モータリゼーション先進国を突っ走っていた米国でさえ、コロナを機に考えを改めつつあります。全国的に自転車利用者が増え、通勤やレジャーで自転車に乗る人が100%増えた地域もあるそうです。
日本で事故った話
さて、日本はどうでしょうか?日本には誇るべきママチャリ文化があるので、ツールドフランス的ロードバイク優勢のイギリスやフランスより、カジュアルな自転車利用促進にはいい素地があるはずですね。
けれども日本には日本の問題もあるかもしれません。
私が日本で自転車に乗るとき、どこを通っていいのかわからないことがあります。ルールとしては「自転車は原則として車道の左側を通行」と聞いていますが、ママチャリの場合みんな歩道を使っているようです。私はイギリスで歩道を走ってはならないというルールが徹底しているのに慣れているので、日本でもママチャリですら歩道を走るのに罪悪感があります。誰もいないときはまだいいのですが、狭い歩道で歩行者がいると追い抜くのに気を使うし、いきなりベルを鳴らしてびっくりさせるのも悪い気がします。
日本でもロードバイクに乗るときは道路の端を走りますが、運転手の中には自転車は歩道を走るものと決めてかかり、サイクリストに十分なスペースを取らずギリギリのところを追い抜いていく人もいて怖い思いをすることもあります。特に、右折時や信号待ち、レーンを変更する必要があるときなど、どうするといいのかわからない時がしばしば。
また、運転手が速いスピードで走るロードバイクに慣れておらず、自転車は歩道をゆっくり走るものと思い込んでいるふしがあるので、交差点や曲がり角で危ない思いをすることもあるようです。
イギリス人の連れは日本の道路を自転車でまっすぐ走っているときに、突然左折する自動車にぶつかったことがあります。運転手は左折する前に彼をちらっと見たものの「自転車があんなに早いスピードで走るとは思わなかった」そうです。幸い大けがはなかったものの、こういう事故は少なくないのではないでしょうか。
日本の田舎はサイクリングに最適
とはいえ、日本は自転車乗りにとってはありがたいところです。ちょっとそこまでのママチャリ移動も概して便利だし、何より田舎道でのサイクリングは快適、時に感動モノです。
まず、自動車の交通量がほとんどないような田舎道でも道路の状態がすこぶるよくて、イギリスでよく経験するでこぼこ塗装でお尻が痛くなることがほとんどありません。また、信号のない交差点や山道のカーブについているミラーが対向車を確認するのにとても便利で安全です。
平らでまっすぐな道がほとんどなくて坂があったり、道が曲がりくねり、適度な距離に田園、村落、建物などが点在して風景に多様性があり、小さなサプライズの連続です。山も海も田んぼも自然に溶け込んだ民家も、そのまま切り取って飾っておきたいほどの風景画のような景色がえんえんと続いて、どこまでも走りたくなるのです。
そのうえ、日本では適当な距離に村や町、観光地、温泉、宿泊施設もあるので、サイクリング旅行にも最適です。私たちはイギリスから日本に行くと、いつも自転車旅行をします。日本でのサイクルツーリズムはもっと整備され、マーケティングされてしかるべきです。しまなみ海道などはこれで大成功していますが、ここに限らず、日本中の地方で掘り起こすべき観光資源でしょう。
サイクリングだと遠くに行けないという意見もありますが、自転車を専用のバッグに収納したら新幹線を含むJR線などに持ち込むこともできるので輪行旅行もいいですね。日本には信頼できる宅急便もあるので、荷物を滞在先に送っておいて身軽に旅行したりもできます。
もちろん、地元を自転車で走るのもいいもので、自動車や鉄道・バスとは違う発見や体験が楽しめます。歩くのもいいですが、自転車だとそれよりさらに遠い所へ行けるし、気になったところでとまって気軽に散策もできます。何より、自分の足でペダルをこいですいすい進み、体中で風を感じるのは心地よいもの。
まとめ
ということで、イギリスのようにスポーツバイク文化が主流のところにはママチャリ文化を広めたいし、日本のようにママチャリ文化が全盛のところにはレジャーのためのサイクリングを進めたいところです。
自転車は快適性では天候にも左右されるし、誰でもが利用できる移動方法でないのは確かですが、環境にも健康にも精神衛生にもいい乗り物としてもっと多くの人に利用されるべきでしょう。英ジョンソン首相も肥満解決、コロナ対策に理想的とすすめてますしね。
https://globalpea.com/boris-cycling