日本では近年インバウンド需要に沸き、外国人訪日数がうなぎ上りに増えています。観光客に人気のある京都、奈良、鎌倉、また地方でも白川郷や富士山、北海道の人気スポットなど観光客が押し寄せて「観光公害」をおこしている事例がたくさん見られます。このような現象は日本だけでなく、世界の有名観光地で見られてきたもので、各地でこの問題に対する解決策が模索されています。どのような問題があり、解決策としてどのような対応事例があるのかを見ていきたいと思います。
観光公害について
「観光公害」というのは過度な観光客の集中によって観光地への負荷が懸念される事態を指します。具体的には観光客を対象にした開発に伴う環境や景観破壊、文化財や遺跡への悪影響、交通渋滞や大気汚染、現地住民にとっての生活環境の悪化やプライバシーの侵害などがあります。
「観光公害」を英語に直訳すると「tourism pollution」ということになりますが、これは一般的な英語ではなく、英語ではこの現象を表すのに「overtourism(オーバーツーリズム)」のような表現を使います。
日本への観光急増
1990年には320万人、2011年には622万人だった訪日外国人の数は右肩上がりで増加しており2018年には3,000万人を突破して3,119万人になりました。政府は2020年までにインバウンド観光客4,000万人を目標にかかげていましたが、ラグビーワールドカップや東京五輪・パラリンピックでその目標も達成しそうな勢いです。
日本は外国人にとって自然、文化、歴史、食べ物など魅力あふれる国です。その上、最近は外国から見ると物価が安くなりコスト的にも魅力的な目的地となってきました。サービスのレベルも高く治安もいい日本では快適に安心して旅行することができます。特に、訪日観光客の多くを占める中国、韓国、台湾からの人々にとってはすぐに足を延ばせる格好の目的地となっているのもうなづけます。
バブル崩壊後、国内旅行者が減り低迷を続けていた観光地では外国人観光客が増えたことで何とか地域経済を維持しているところがあります。その反面、京都、鎌倉、富士山、白川郷、北海道など外国人に人気がある観光地では、キャパシティを超えた観光客が殺到し様々な問題が起こっています。
日本の観光公害
たとえば京都は訪日外国人にとってNo.1人気を誇る観光地ですが、それだけに観光客があふれかえりオーバーキャパシティの様相を見せています。歴史を感じさせる寺院や神社を仰ぎ見ることのできる閑静な散歩道、静謐な自然景観が売り物のはずだった場所がラッシュアワーのようなありさまになっているのです。
道路の交通渋滞はもちろん、公共交通機関も駅が込みすぎたり、タクシー乗り場に行列ができるなど一般住民の生活にも支障をきたすようになっています。
同様に、東京から近いことで人気がある鎌倉もかつての静かな住宅街の様相をかえつつあります。鎌倉市は人口約17万人に対して2017年に100倍以上の観光客数が訪れました。このため、古くからここに住んでいる人たちや静かな環境を求めて都心から移り住んだ住人にとって、生活に支障が出るほどの悪影響が及んでいるのです。
他にも奈良、宮島、白川郷、富士山、北海道などの観光ホットスポットで、様々な観光公害が起きている事例は快挙にいとまがありません。
海外の観光公害の事例
海外からの観光客の増加は日本だけの現象ではありません。観光客に人気があるホットスポットでは近年観光による地域経済の恩恵より「観光公害」といっていいほどの悪影響の方が大きくなるほど観光客が増えています。どうしてこんなことになっているのでしょうか。
外国からの観光客が増えた要因はさまざまですが、主に3つがあげられます。
- 中国をはじめとする経済拡大によって海外旅行を楽しめる人が増えたこと
- 格安航空会社の普及により航空運賃が安くなったこと
- 国際メディアやSNSの台頭で外国の情報が手に入りやすくなったこと
観光客が多すぎて問題が起きているホットスポットにはイタリアのヴェネツィア、スペインのバルセロナ、ペルーのマチュ・ピチュ、インドのタージマハール、ガラパゴス諸島など、都市から古代遺跡、自然保護地域などありとあらゆる場所があります。
イギリスでは外国人観光客の急増による問題はそれほど深刻ではありませんが、国内旅行者やセカンドホーム(別荘)を望む人などがもたらす弊害が顕著になってきています。湖水地方やコーンウォールといった人気のエリアでは旅行者向けの宿泊施設拡充や別荘購入により、もともと安かった田舎の物件の価格が上がり、地元の人の手の届かなくなってしまうという問題です。
海外での問題解決策事例
海外では観光客増加による様々な問題を解決するための方法が模索されています。どんな方法が導入されているのでしょうか。
イタリア・ヴェネツィア
水の都ヴェネツィアはかねて洪水に悩まされていましたが、最近は洪水のように押し寄せる観光客の被害の方が深刻になってきています。約5万5000人が住む小さな街に年間2100万人にも上る観光客が訪れるのです。1940年代に人口が175,000人だったというヴェネツィアでは観光客向けのホテル需要が要因となる住宅価格高騰のため住民は減り続け、代わりに観光客の数が増えています。
陸路でやってくる観光客に加え、96,000トンを超える巨大なクルーズシップでやってくる観光客は船から降りて狭い道をアイスクリーム片手に歩き回り、街で宿泊はせず船に戻っていきます。
ヴェネツィアでは宿泊を目的とせずに市内に入るための入場料を課すことを検討しています。冬季は2.50ユーロ、夏季は5~10ユーロのあいだでピーク時に応じて価格は変動するという案です。これを推奨する人は街に滞在する宿泊客はすでに一泊につき6ユーロの観光税を支払っており、それと何ら変わることはない、カプチーノ一杯の値段だといいます。けれども、これではヴェネツィアがテーマパークになってしまうという反対意見もあります。
2012年に大型クルーズ船座礁事故が起きたこともあり、イタリア政府はクルーズ船は海岸から5キロ以上離れて運行しなければならないと定められましたが、ヴェネツィアは例外とされました。けれども2017年末になり、大型クルーズ船はサンマルコ広場のそばを通ることを禁止されることに決まりました。サンマルコ広場の2倍の大きさになるというクルーズ船は景観を損なうだけでなく、大量の排水によって潟を汚染してもいるのです。
観光客による問題を解決するために他に検討されている案には下記があります。
- 観光客の数そのものを制限する
- ピーク時にサンマルコ広場やリアルト橋などのホットスポットに向かう観光客の数をコントロールする
- 本島を離れ潟やムラーノ、ブラーノなどの島に観光客を誘導する
- 復活祭やカーニバルなどピーク時を避けるように呼び掛ける
けれども地域経済が観光によって成り立っているヴェネツィアでは、ホテルや飲食店ビジネス、土産物店主、ゴンドラや水上タクシーの運営者などの反対もあり簡単に解決策が決まりません。
スペイン・バルセロナ
バルセロナは1992年のオリンピックまでは衰退した工業都市でしたが、オリンピックのための開発によって街が生まれ変わり、それからというもの観光都市として成長してきました。格安航空運賃の追い風に乗り、イギリスやドイツなどヨーロッパ北部からの短期旅行者に人気が出ているのです。その結果、バルセロナの人口は160万人ですが、今では年間約3,200万人という観光客が訪れています。
観光客の急増によりバルセロナでは交通渋滞や騒音などの問題が顕著になってきています。また、Airbnb(民泊)の増加により住民用のアパートメント(マンション)の空室が減り、一般市民の家賃が高くなるといった現象もおきています。
バルセロナではこのような問題を解決するために様々な規制を導入しています。
まず、2016年から歴史地区内で観光客向けの新しい商業施設の開設を禁止するとしています。これにはバルやカフェテリア、自転車レンタル、24時間スーパーなどがあります。
さらに新たなホテル建設を禁止したり、観光客の宿泊を対象としたアパートメントの新築を許可しない方針も発表しました。さらにB&Bへの規制を強化し、年間貸し出せる部屋を制限したり固定資産税を引き上げることによってこれ以上の観光客の増加を抑える動きです。
観光客を制限する規制についてバルセロナに住む一般市民の中には歓迎する人が多いものの観光客を相手にしているビジネスからは反対意見も出ており、賛否両論の政策ではあるようです。例えばホテルの新規建設が禁止されたために大手資本が撤退し雇用機会損失など地域へのマイナス経済効果も指摘されています。
オランダ・アムステルダム
アムステルダムはオランダの首都とはいえ、人口は85万人とそう大きな都市ではありません。それなのに観光客は2016年で1,700万人と比較的小さい都市部のキャパシティを超えているといっても過言ではない数になってきています。
アムステルダムは若い人々に人気のスポットがたくさんあることで、外国からたくさんの若者が訪れ飲酒、ドラッグ、バーやクラブなどのナイトライフを楽しむことが多いのを特に問題としています。このタイプの観光客はさほど地元にお金を落とさないわりに騒音、不道徳な行い、軽犯罪などの問題をひきおこしがちだからです。
そのためにアムステルダムは一連の政策を導入しています。おもな目的は住民にとっても住みよい街にするために、高所得者層を対象に地元にお金を落としてくれるマナーのいい観光客をターゲットにすることです。
まず、アムステルダムで大人気だったビール・バイクを禁止しました。
そして、旧市街や商業地区で観光客のみを対象とした店の営業を禁止しました。市内では新規ホテルの建設も中止しています。さらに、市内への観光バスの乗り入れを禁止しました。
アムステルダム中心部に観光客が偏る問題を解決するために様々な手段も導入されています。たとえば、中心部にあるクルーズ船ターミナルを郊外へ移転することにしています。中心部だけでなく、アムステルダム郊外の観光を重点的にマーケティングすることにより、観光客をより広いエリアにバランスよく引き付けることを目標にしています。
さらにアムステルダムでは観光税についても修正を検討しています。現在アムステルダムではホテルの宿泊費用の6%を観光税として徴収しています。これを固定の10ユーロにすることで、格安料金の安宿やAirbnb(民泊)の「お得感」をなくすのが目的です。
さらにAirbnb(民泊)に年間60日の上限を設けることで、商業的なホテルビジネス目的に利用されないようにする政策を導入するとしています。
ホテルやAirbnbから徴収される観光税は市内観光地の整備に使い、アムステルダムの住民にとっても住みよい街にするのが目標ということです。
日本の観光公害への対応ヒント
観光マナーについて啓蒙
日本はこれまでよくも悪くも単一民族国家で、外国人が住んだり働いたり旅行に来たりということが珍しいところでした。近年はそれが急速に変わってきていますが、それに対する対策が遅れていることが多くそのために起こる問題が目立ち始めています。
訪日観光客による弊害としては、静かな環境の寺院や公園などでの音楽や騒音被害、騒いだりゴミを投げ捨てたり踊ったりする、禁止されている場所で写真を撮るなど。落書きや器物破損などの被害も報告されています。
このような問題については観光客マナー改善のために多言語でリーフレットやポスターを作成することで問題を未然に防ぐ必要があります。訪日観光客の中には特に悪気はなく、ただ日本のマナーを知らないという理由で迷惑行為に及ぶ人も多いのです。例えば日本には公共の場所にゴミ箱が少なかったり、あってもリサイクル用のゴミ箱に日本語表記しかないために、どこにゴミを捨てていいかわからないという外国人も少なくありません。
富裕層のバカンス需要をターゲットに
航空運賃が安くなったことで昔は富裕層の特権だった海外旅行が一般人にまで広がっています。日本は国際的にみると物価が安くなっていてあまりコストをかけずに旅行することができるため、かつて日本の若者がバックパッキングでアジア諸国を旅行したのと逆の現象が起こっています。世界中の若者が日本に来てくれることはもちろん歓迎すべきでしょう。
けれどもそれはそれとして、マナーが悪い割にはお金を落とさない観光客に悩まされている観光地では富裕層を対象にしたアップマーケット化を図るのが得策といえます。
「クールジャパン」をうたってアニメオタクに来てもらうのではなく、外国の富裕層を対象に滞在型のバカンス需要をねらうのです。比較的年齢層が高く、日本文化に関心があり、マナーがいい人たちをターゲットにします。
この「バカンス」という概念について、日本人自体がなじまないため、ぴんとこない人が多いかもしれません。欧米の旅行者は2~3週間のホリデーを静かな地域の1か所でゆっくり過ごすことが多いのです。
海辺や湖畔の町で泳いだり日光浴したり、山の中でウォーキングやサイクリング、バードウォッチングなどのアウトドアを楽しんだりします。また、景観の美しい街や伝統あふれる建築、アートを鑑賞したり、おいしい食事やお酒を目当てにする人たちも多いでしょう。ホテルに滞在することもあれば、貸別荘のようなところを借りる人もいます。
このような人たちの需要を満たすための観光地や滞在先を拡充して、それをマーケティングすればお金を落とすが問題は起こさない「上客」がたくさん来てくれるはずです。
観光客を分散するためのマーケティング
上記の「バカンス」目的の乗客が滞在したいところは観光客だらけでごみごみしたホットスポットではありません。静かで空気がきれいで自然や景観が美しいところです。
このためには訪日観光客に東京、京都、大阪といういわゆる「ゴールデンルート」からはずれ、地方にも足を運んで探索してもらうことが大切です。かといって、日本のことをよく知らない外国人にとってはどこに行っていいのかがわからず、ガイドブックに載っている場所に行くしかないのが現状です。
日本人がその価値を感じなくても外国人にとって日本の田舎には大きな魅力があります。その価値を各地が個性を生かしたブランディングでプロモーションする必要があります。SNSを使ったり、オンラインで多言語マーケティングすることが大事でしょう。特典を付与したアプリを配って観光目的地や滞在先を紹介、推奨することもできます。
もちろん、その前にそのような場所に外国人を迎える宿泊場所やアクセス、観光施設、を整えることも必要になってきます。その場合に注意すべきことは日本人がする「観光」と外国人のそれは目的や過ごし方が異なることが多いということです。1週間単位の長期滞在や個人個人の目的や要望に応じた観光スタイルを用意できるかどうかがカギになってきます。観光スポットを急ぎ足で見て土産物を買う「もの」観光ではなく、ゆっくりと自分のペースで時間を過ごし、散歩やスポーツなどを楽しむ「こと」観光のための選択肢を提供する必要があります。
このようにして訪日観光客を各地に分散することができれば、現在ホットスポットとなっている京都などの観光公害が少しは緩和されるばかりでなく、地域経済や少子化で衰退しつつある地方活性化の助けにもなるでしょう。
まとめ
インバウンド観光は日本にとってまだまだ拡張が見込める産業分野といえます。これまで日本経済を牽引してきた産業に代わって日本を不景気のスパイラルから救う可能性を秘めています。
けれども世界各地の事例が示すように、観光客は地域に恩恵をもたらす一方で弊害も起こします。訪日外国人による「観光公害」についてはその対応が遅れていますが、この問題が大きくなりすぎて手遅れとなってしまわないうちに適切なマネージメントが必要でしょう。