前回の記事では、スターマー首相辞任の背景として、Reform UKの躍進や「Red Wall(レッド・ウォール)」と呼ばれる北部・中部地域の政治的変化についてお伝えしました。その中で次期首相候補として注目されていたのが、グレイター・マンチェスター市長のアンディ・バーナムです。2026年7月17日、バーナムは労働党党首に選出され、7月20日に英国の首相に就任しました。
私は30年以上マンチェスター近郊で暮らしてきたので、アンディ・バーナムは以前から身近な政治家でした。しかし昨年ロンドンへ移り、「Andy Burnhamって誰?」という反応に何度も出会いました。同じ英国でも、北部とロンドンとでは彼に対する認知度がこれほど違うのかと驚いたものです。
アンディ・バーナムはどんな人?そして労働党はなぜ今、彼を新たなリーダーに選んだのでしょうか。
アンディ・バーナムとは
バーナムは1970年、リヴァプールで生まれ、マンチェスター近郊で育ちました。2001年に労働党の国会議員となり、ブラウン政権では保健相や文化相などを歴任しました。
その後、二度にわたって労働党党首選に挑戦したものの敗れ、2017年にグレイター・マンチェスター市長へ転身します。
市長として約10年間、公共交通の再公営化や中心市街地の再開発、ホームレス支援などに取り組み、「地域の課題を現場で解決する政治家」として評価を高めてきました。また、市長在任中は給与の15%をホームレス支援団体へ寄付し続けるなど、その誠実な人柄でも知られています。
政治理念の原点
バーナムの政治姿勢を語るうえで欠かせないのが、「ヒルズボロの悲劇」。1989年、リヴァプールのヒルズボロ・スタジアムで97人のサッカーファンが亡くなった事故では、長年にわたり警察や公的機関による隠蔽が問題となりました。
私がバーナムという政治家に強い印象を持ったのは、2009年にリヴァプールで行われたヒルズボロ追悼式の様子を見た時です。政府代表として壇上に立ちながら、ブーイングを受け止め、涙をこらえてリヴァプールの人々の声に耳を傾ける姿は今でも印象に残っています。

当時、閣僚だったバーナムは遺族の訴えに向き合い、真相究明と記録公開に尽力しました。その後も長年にわたり、行政機関の説明責任を強化する「ヒルズボロ法」の制定を支え続けてきました。
この経験は、「権力を監視し、市民の立場に立つ政治」を重視する現在の政治理念につながっています。
「北の王」と呼ばれるようになった理由
バーナムが全国的に知られるようになったのは、新型コロナウイルス流行時のことでした。
2020年、ジョンソン政権はマンチェスターなど北部地域だけに厳しい行動制限を課しながら、十分な経済支援を示しませんでした。
これに対し、バーナムは「北部だけが犠牲になってはならない」と政府に強く抗議しました。その姿は、多くの北部住民が抱いていた「ロンドン中心の政治は地方の声を聞いていない」という不満を代弁するものとして受け止められます。私も当時その記者会見を見ていました。あのとき周囲の人たちが口をそろえて言っていたのは、「やっと自分たちの気持ちを代弁してくれる政治家が現れた」ということでした。
この頃から、彼は “King of the North(北の王)” と呼ばれるようになりました。
「Head North」が示す英国改革
2024年、バーナムはリヴァプール都市圏市長スティーブ・ロザラムと共著で『Head North』を出版しました。
この本で二人が訴えているのは、英国の地域格差は地方の努力不足ではなく、ロンドンに政治と経済の権限が集中していることに原因があるという考え方です。
住宅や交通、教育、産業政策などを地方が主体的に決められるよう権限を移し、それぞれの地域が自ら成長できる仕組みをつくるべきだと主張しています。
バーナムが繰り返し掲げる「地方分権」は、この考え方に基づいています。
新首相として目指すもの
党首選後の演説で、バーナムは “Devolution, devolution, devolution”(地方分権、地方分権、地方分権)と、これを最も重要な政策として掲げました。
住宅、交通、教育、医療など、人々の暮らしに直結する政策について、地方がより大きな権限を持つ国へ転換したいとしています。
また、公共交通やインフラへの投資、地域産業の育成、公営住宅の建設、若者への職業教育の充実などを通じて、ロンドンだけでなく全国各地で経済成長を実現することを目標に掲げています。
さらに、首相官邸機能の一部をマンチェスターへ移す「No.10 North」構想も打ち出し、中央集権の象徴であるウェストミンスター政治を変えたいという姿勢を明確にしています。
英国政治は新しい局面へ
現在の英国では、保守党と労働党という二大政党への支持が低下する一方、Reform UKや緑の党への支持が広がっています。
こうした状況のなかで労働党がバーナムを選んだ背景には、従来のロンドン中心の政治では支持を取り戻せないという危機感があります。
バーナムが掲げるスローガンは、”Good growth in every postcode and hope in every heart.”(すべての地域に質の高い成長を、すべての人の心に希望を)です。
地方で暮らす人々が、生まれ育った地域を離れなくても教育や仕事、住宅などの機会を得られる社会を目指すという考え方は、過去の記事で紹介した「どこでも族とここだけ族」の分断とも深く結びついています。
スターマー政権が十分に応えられなかった地域格差への不満に対し、バーナムがどこまで具体的な成果を示せるのか。英国政治が本当に地方中心へ転換できるのか、それとも再びロンドン中心の政治へ戻ってしまうのか。30年以上、北から英国を見てきた一人として、私はこれからのバーナム政権を注意深く見守りたいと思っています。



