イングランドの真ん中、ノッティンガムシャーにある小さな田舎町に引っ越してから、毎日よく歩きます。「パーミアブル」な町の作りがウォーカブルなので、ついついふらふらのんびりとあちこちに足を延ばしてしまうのです。
「パーミアブル」とは?
ノッティンガムシャーのSouthwellという小さな町に引っ越してから毎日よく歩きます。緑あふれる田舎道やミンスター(教会)に付随するガーデン、公園はもちろんですが、町中の街路や小道を歩くことが多いのです。この辺りは公共交通機関もまばらで車がないと不便な所。マイカーで通勤やショッピングをする人がほとんどなので道路はそれなりの交通量。けれども、その道路わきの歩道を通らずとも、歩行者専用の小径が網の目のように張り巡らされています。これまで住んでいた街はおおむねヴィクトリア時代に開発されたところで、碁盤の目のように作られた道路に付随するゆったりとした歩道を歩くのが常でした。それとは対照的に、車道から迷路のようにうねうねと延びる狭い小道がそこかしこにあるこの小さな田舎町はシエナとかグラナダなどヨーロッパの中世都市を思い出させます。A地点からB地点に行くのに道路だと遠回りになるのに、その間に通り抜けができる歩道があるので近道ができて、実に「permeable(パーミアブル)」だと感心してしまいます。
この「permeable(パーミアブル)」という言葉はあまりおなじみがないかもしれません。もともとは物質が通過できる性質を表す、浸透性という意味ですが、アーバンデザイン用語としては、街路の通り抜けができるという意味で使われます。建物や壁などによる行き止まり(dead end)や「cul-de-sac(カルデサック)」と呼ばれる袋小路を避け、歩行者がUターンすることなく行きたい方向に歩き続けることができるのはウォーカブルなまちの基本条件といえます。
「cul-de-sac(カルデサック)」の功罪
イギリスではガーデンシティや郊外の住宅街開発で、住民の安全を確保し、騒音や排気ガス、犯罪の可能性を減らすためにthrough traffic(通り抜けする交通)を避けるべく「cul-de-sac(カルデサック)」をもうけることが多く、このような立地は住民にも人気があります。でも、こういう街路デザインだと、歩いていて行き止まりに当たってしまい、地元を知らない訪問者には困りもの。私はどこに旅行に行っても知らない街の観光名所でもない住宅街や下町をあてもなく歩くのが好きなのですが、長々と歩いたあげくこういう行き止まりにぶちあたると損した気分になります。地元の人はどこを歩けばいいのかが分かっているので、よそものが悪さをするのを避けるための防犯にはいいのかもしれませんが、デメリットもあります。「cul-de-sac(カルデサック)」の多い街路デザインだと、短い距離でも歩くより自家用車に頼ってしまいがちとなり、ウォーカブルという点では問題があるといえるのです。
サウスウェルは古い町ですが、中心部の周りは戦後建てられた新しい家も多く「cul-de-sac(カルデサック)」も多く使われています。でも、そのような袋小路にも車は通行できないけれど歩行者は歩ける細い路地があちこちにあるので、徒歩なら通り抜けができるのです。はじめは家と家の間にある狭い小道が一般用に確保されたものだとは気が付かず、誰かの裏庭に続く道かと思っていましたが、よく見るとちゃんと「public footpath(パブリック・フットパス)」という標識が立っています。建物や敷地の間を縫って続くので、まっすぐではなくくねくね曲がっていたり、ジグザグになっているところもありますが、道に沿って歩いていくとすぐに道路や町中に出られます。
家からまちの中心部まで道路わきの歩道を歩くと10分かかりますが、この小道を使うと数分時間が節約できるだけでなく、静かな住宅街を通り入念に手入れれされた誰かの前庭を堪能しながら歩いて行けます。ロンドンやマンチェスターなどの都会では、こういう人目につかない場所はすぐ落書きでおおわれ、トイレ代わりに使われ、割れたビール瓶だらけになるし、女性一人で歩くのはこわいもの。けれども、ここではビール瓶どころか、小さなごみやたばこの吸い殻一つ落ちてないし、落書きもなく、よく手入れされた安心安全な環境という印象。実際、地元の人はみんな普通に使っているし、地元の高齢女性が一人でショッピングトロリー(車輪付きの買い物バッグ)を持って歩いていたりします。
Public Right of Way
ジェーン・ジェイコブスは1960年代に「アメリカ大都市の死と生」でニューヨークの再開発の批判をし、広い自動車道路で形作られた街区を小さく分割して、歩きやすいデザインにするべきだと主張しました。けれども、すでに土地が細分化され所有権が確立しているところだと通り抜けできるデザインを後から導入するのは難しいとも言えます。サウスウェルは昔からあるまちなので、すでにPublic Right of Way(公共の歩く権利)が確立されていて、その後にできた開発もその権利を尊重して建てられたのでしょう。
イギリスのPublic Right of Wayは私有地であっても誰でも自由に通行できる道だと法律で認められています。国中、まちなかにも田舎にもこのフットパスが張り巡らされていて、Public Footpathの標識がいたるところで見られます。ちなみに、歩行者に加え馬や自転車でも通行できる道はPublic Bridleway(パブリック・ブライドルウエイ)と呼ばれます。
田舎の牧草地や丘にあるPublic Right of Wayはfootpath(フットパス)と呼ばれますが、まちなかにある、建物の裏や建物と建物の間にある歩行者用の路地は普通、alley (アリー)または alleywayと呼ばれたり、その地域特有の呼び名がついていたりします。イギリス北部で guinnell(ギネル)と呼ばれるのを聞いたことがありますが、ノッティンガムシャーの我が家の大家さんは jitty(ジティ)と呼んでいて、最初何のことかわからなかったものです。それぞれの地域に根付いているからこそ、こういうニックネームのような呼び名が使われているのでしょう。こういう道が地元の人が日常使っている、なくてはならないコミュニティの共有財であることが、これによってもわかります。地元でしか飲めないビールのように。
ウォーカブルなまち
パーミアビリティのあるまちだと、車に頼らずとも安全で歩きやすいウォーカブルなまちをつくることができます。また、身体感覚にあった歩行者空間のネットワークがあることで、歩くことが苦でなくなり、その日の気分でルートを変えたり寄り道をしたりするようになります。もちろん、車を運転しない高齢者や子供、若者、ベビーカーで移動する人も他人に頼らず自由な移動がしやすくなるのも大きなメリットです。
また、毎日のように路地を使って図書館やパン屋、マーケットや郵便局、教会や町はずれにある川や森沿いの散歩道まで歩いていくうちに気が付いたことがあります。車に乗っているとたぶん会わないような赤の他人とすれ違って軽くあいさつしたり、知り合い同士が偶然出くわして話し込んでいるのが聞こえて、地元で起きている小さな出来事について思いがけなく知ったりするのです。
このようなところで暮らしていると、コミュニティ意識も育くまれ、地元愛も増すだろうと想像します。誰も見ていない路地がいつもきれいに保たれ、落書きもごみも落ちていないのも、そのおかげかもしれません。