住宅価格や家賃の高騰により貧困層や若者が困窮するのは世界共通の問題となっています。イギリスやアメリカなどの英語圏では’Affordable Housing’という言葉で「適正価格の住宅」が必要だと言われています。これは具体的はどのような住宅を指すのでしょうか。またこのような住宅を提供するために各国ではどのような住宅政策を行っているのでしょうか。
住宅価格の高騰
ロンドン、ニューヨーク、パリ、東京、シンガポール、香港など、世界中の都市では住宅価格や家賃が高騰していて家計を圧迫しています。世代を経て受け継がれた土地や住宅を持たない若者や低所得者層にとっては住宅費が収入の大きな部分を占めることになります。
仕事や勉強のために都市部に住まざるを得ない人たちにとって住宅価格・賃貸価格が生活に及ぼす影響は大きく、食費や医療費など他の出費を節約せざるを得ないことも少なくありません。
この問題に取り組むため、多くの国では住宅政策の一環として’Affordable Housing’と呼ばれる概念を導入しています。
‘Affordable Housing’とは?
‘Affordable Housing’という言葉はイギリス、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの国で使われています。直訳すると「入手が可能な価格の住宅」ということですが、要は一般庶民が買える(または借りることができる)価格帯の住宅ということです。
主な対象は低所得者層ですが、住宅価格が高騰している地区では中所得者層(例えば事務員、店員、教師、看護師など)も対象となります。
具体的なガイドラインとして、米国やカナダでは世帯収入の30%を超えない数値で借りたり、ローンを組んで購入できるものを’Affordable Housing’としています。
イギリスでの’Affordable Housing’ の定義については、はっきりとした数字がありませんが、おおむね総収入の25%~35%と言うことになっています。ちなみにイギリスの家のローンの平均は家計収入の34.5%であるという統計があります。
日本でも地方は別として、都市部で住宅費が家計費の30%を超えるというのはそう珍しくはないことかもしれません。けれども、住宅価格や家賃の高騰については個人の問題であり、公的な課題としてあまり大きく問題に取り上げられることはないようです。
各国の住宅政策
イギリス
戦後の公営住宅
第2次世界大戦後、イギリスで低中所得者層を対象とした住宅政策はおもに’Social Housing’と呼ばれる公営住宅を提供することでした。政府補助金により建設された賃貸住宅を地方自治体が管理するものです。
これは戦後イギリスの「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた福祉国家サービスの重要な一環でした。戦後の住宅不足を解決するためにもこのような政策は重要視され、国民の支持も得て1970年代後半まで続きました。この時代の公営住宅の家賃は住宅によって決まっていたのではなく、住民の経済状態をもとに計算されており、所得が低い人は住居費がかなり低く抑えられていたのです。
1979年にサッチャー保守党が政権をとると、戦後イギリスの高福祉高負担政策を見直す「サッチャリズム」によって社会保障政策が次々に改革されていきました。住宅政策についても公営住宅は公費の無駄使いであり、住宅建設や管理は民間マーケットに任せるべきだという方向にかわっていきました。
サッチャー政権の’Right to Buy’
サッチャー政権が行った’Right to Buy’政策は公営住宅に住む住民に自分たちの住む住宅を安い価格で買う権利を与えることでした。これによって公営住宅の数は年々減り、新たに建てられるものはほとんどなくなりました。結果として賃貸市場は民間が提供する住宅で占められるようになり、低所得者層や若者が安い家賃で借りることのできる住宅が減ってしまったのです。
公営住宅に代わるものとしてはHousing Association(住宅協会)という半官半民の住宅公団のような機関が各地に設立され、低所得者層向けの住宅を提供していますが、その規模は限られており大半の人々は民間の賃貸住宅を借りている状況です。
こうして、イギリスの公的住宅政策は ’Social Housing’ から ‘Affordable Housing’ へと変遷していきました。もはや公的住宅はなく、せめて庶民の手の届く「適正価格」住宅を提供しようということです。
都市計画における ‘Affordable Housing’ 政策
これを達成するためにイギリス政府は都市計画政策において’Affordable Housing’ を推進するようにという趣旨のPPG(Planning Policy Guidance)3という政府方針を1992年に出しています。各自治体が作成すべきDevelopment Plan(開発計画)に’Affordable Housing’ 方針を盛り込むようにという指導です。
とはいえ、地方自治体が自ら公営住宅として’Affordable Housing’を建てたり運営するということではありません。民間業者の開発計画を許可するプロセスにおいて、’Planning Agreement’(都市計画協定)と呼ばれる協定を使って’Affordable Housing’を確保しようというのです。
‘Planning Agreement’は「セクション106協定」とも呼ばれますが、都市開発の際に都市計画許可申請者(つまり開発業者)に開発地や周辺地域への公的な負担を促すものです。その具体的な内容は開発により様々ですが、周辺地域の道路改善、敷地内または近辺でのパブリックスペース創設、その他コミュニティへの寄与などがあります。
このような’Planning Agreemen’tの一環として、例えば住宅開発プロジェクトであれば新開発の住宅のうち一定の割合(10%とか)を’Affordable Housing’として提供することを条件にするという方法が広く使われるようになりました。このような住宅には売却目的の物もあるし賃貸住宅もあります。
‘Affordable Housing’は売却でも賃貸でも市価の80%を超えない価格であるとされています。ということは市価に比べると安くはあるけれども、ロンドンなど家の値段や家賃が高い地区では’Affordable’ とは言えども低所得者層の手に届く値段ではないということになります。戦後の’Social Housing’ に比べると低所得者層の助けになる政策とは言えませんが、それでも民間業者の高い家賃や住宅価格よりはましといったところでしょう。
ドイツ、ベルリン
ベルリンは持ち家率が低く、市民の85%が住宅を借りています。かつては家賃の低い公営住宅もあったのですが、2000年代にそれが民間投資家に売却されました。
民間の所有となった住宅では、その後家賃が高騰しました。2017年にはベルリンの家賃は平均して20.5%も増加したのです。さらに、このような賃貸住宅では維持修理面でも問題が相次ぎ、住宅管理においての不手際が指摘されることが多くなっています。
このような状況の中、賃貸住宅に住む住民は ‘Deutsche Wohnen & Co Enteignen (DWE )’という市民運動をおこしました。ベルリンにある200,000戸の住宅を再び公営にするための住民投票を行うようにベルリン市に要求するものです。この運動は市民の半分以上の支持を受け、すでに77,000人の署名を得ています。
この運動は住宅の公営化というよりは社会所有と言う概念を目指しています。運営のすべてを政府や自治体にまかすのではなく、住民も参加して行うというものです。そして、家賃収入はすべて住宅の維持費や改善費、さらに新しいい住宅の建築費用とするとしています。
この運動は現在継続中ですが、もし市民が要望する住民投票が行われ、民営化された住宅の再公営化が実現するとなったら、ドイツの他の市でも同様の運動がおこることも予想されます。ドイツだけでなく、国際的な関心も高く、ベルリンでの展開がどうなるかが注目されています。
ニュージーランド
ニュージーランドでは近年社会における経済格差、貧困問題、ホームレスなどの社会問題が顕著になっています。そのような状況を打破するために社会福祉に重きを置いた政策を呼び掛けていた労働党から2017年にジャシンダ・アーダーン首相が誕生しました。
最近のニュージーランドは住宅価格や家賃の高騰が大きな問題となっており、その理由の一つは外国人による不動産投資です。中国人、オーストラリア人をはじめ様々な国の人々がニュージーランドの住宅や土地を購入しており、オークランド中心部の不動産の20%は外国人によって購入されているということです。この結果、住宅価格が高騰し地元の人が家を買えなくなり、ガレージや車で寝るという人たちまで出てきました。
アーダーン政権はまず既存の住宅を外国人が購入することを禁止しました。
さらに2018年に’KiwiBuild’(キーウィ・ビルド)という政策を導入。10年間で’Affordable Housing’ を 100,000戸建てると約束しました。最初の1年間で 1,000戸建てる計画だったのですが、2018年7月から年末までに完成したのはわずか47戸で、当初の目標は達成できない見込みだと発表しています。
その理由としては低価格で利益の少ない住宅を建てる開発業者を見つけることが困難だということです。さらに、’Affordable Housing’ として建てられた住宅の価格は一般のニュージーランド国民にとってはまだ高すぎるので需要も限られてくるということがわかりました。
貧困層救済や社会問題解決のための様々な政策を導入する新政権は、不動産売却利益にかかるキャピタル・ゲインズ税の導入も検討するとしました。これによって得られる税収を福祉や低所得者層のための住宅政策に使う目的でした。
けれども、これには国民から強い反対意見が上がり、2018年にアーダーン首相はコンセンサスが得られないため自らの在任中はこのような政策を導入しないと発表せざるを得ませんでした。
ニュージーランドでは、家計収入が大きく家族がいるうちに大きな家を購入し、子どもが巣立ち引退する頃にその家を売却した利益で小さい家に移り住み年金暮らしをするというライフプランを描く人が多いのです。このような「家は長期投資である」という考え方は中古住宅市場が大きいイギリスでも一般的です。すでに住宅を所有している人にとっては不動産売却時の利益に高い税金がかかることに反対するのは自然の成り行きとも言えます。
まとめ
各国のさまざまな事例を見てみると、住宅に関する課題を解決するには国や自治体の福祉・住宅政策や都市計画政策だけでは難しいということがわかります。人々の生活の基盤となる住宅が家賃収入ビジネスや投資目的の不動産としても意味を持つということも住宅政策の大きな課題となっています。
グローバル経済の拡大によって富を増やす人がいる半面、低所得者層との格差は広がるばかり。外国からの不動産投資も多いロンドンやオークランドなどの都市部では家賃が高騰しホームレスも増えるなど、低所得者層の住宅問題は切実です。
そんな状況の中、各国では政府や自治体、コミュニティが様々な政策や取り組みを行っています。その中から、より効果的な解決方法が見つかることが期待されます。