フランスで年金受給年齢を62歳から64歳に引き上げるという改革案に抗議して大規模なデモが繰り広げられているのをご存じの方も多いでしょう。反対するフランス人の話を聞いていて思い出したのが前に読んだ本で「世界の成長は既にスローダウンしているので、それを受け止めて安定した豊かな生活を送ろう」というものです。
フランスの年金デモ
少子高齢化に伴い、社会保障の財源が年々厳しくなっているのは先進国共通の問題。そのひとつ、フランスではマクロン政権が現在の国民年金受給開始年齢を62歳から64歳に引き上げるという年金改革案を通そうとしています。ヨーロッパでは年金受給開始が65歳以降という国が多いので、他のEU諸国とそろえるという意味では自然なことだと思われました。
けれども、フランス国民は黙っていません。野党や労働組合をはじめ多くの一般国民も反対の姿勢を見せ、各地で抗議のデモやストライキが相次いでいます。花の都パリもごみだらけ、ボルドー市庁舎は放火されるなど、抗議活動は収まる様子を見せません。
インタビューに応じていたフランス市民の1人は「62歳で引退し、田舎でゆっくり過ごす日を夢見てこれまで一生懸命働いてきたのに、その計画が台無しだ」と怒りをぶつけていました。フランス人は休暇をことのほか楽しむ人たちで、労働者も長いヴァカンスのために働いているといった人が多いのです。年金がもらえるようになるとさっさと仕事を辞めるので65歳以上の就業率は3.4%と低く、高齢者の1/4が働く日本とはかなりの違いがあります。
イギリスでも年金受給年齢は上がって来ていて、現在は66歳ですが2026年に67歳になり、2037年には68歳になる予定。イギリス人とて年金受給年齢が上がっていくことを苦々しく思うものの、仕方がないと受け入れてしまうのがフランス革命の国とは異なる国民性なのかもしれません。
定年後の豊かな人生
以前働いていたイギリスの市役所で、都市計画の仕事が大好きで精力的に働いていたイギリス人の同僚が定年になりました。
いつもの冗談交じりの何気ない会話で
「あんなに生き生きと楽しそうに働いていたのに、仕事を辞めたらすることがなくなっちゃうんじゃないですか?」と聞いたら、急に真面目な顔になり
「この日をずっと待っていたんだよ。これから妻と2人で毎日ゆっくり庭仕事したり、散歩に行ったりして楽しめるんだ。することがないだなんてどんでもない。」という答え。
それから笑顔になって、家の近所にある自然豊かな散歩道の話とか、湖水地方のあそこに行きたいとか、家の庭をこんなふうに変えて野菜をたくさん植えたいとか、いろいろな計画について話してくれました。
そのどれもが、大げさなものでも、大金がかかるものでもありません。デモをしているフランス人の多くがリタイアしてやりたいこととも似ているでしょう。それは、商業主義にすっかり慣れてしまった日本の多くの人たちには貧乏くさく見えることかもしれません。でも、そのような暮らしに幸せを感じる人たちはたくさんいます。旅行でギリシャやイタリアの田舎にある過疎の村や町に行くと、広場や家の前に椅子を持ち出して近所の人たちと楽しそうにおしゃべりしている人たちをよく見かけます。そういう人たちは皆笑顔でよそ者にもあいさつしてくれ、とても満ち足りているように見えます。
先進国の豊かさはプラトー状態
以前読んだ英語の本にオックスフォード大学の地理学者ダニー・ドーリングが書いた「スローダウン:超加速時代の終わり」というものがありました。
(Slowdown: The End of the Great Acceleration & Why It’s Good for the Planet, the Economy, & Our lives by Danny Dorling)
「Slowdown 減速する素晴らしき世界」というタイトルの日本語訳もあるようです。
ドーリングによると、私たちは過去数世紀くらいの間に「超加速」といっていいような時代を過ごしてきました。その間、世界中の人口が急増し、技術革新が進み、経済成長や生活水準も急上昇。しかし、今私たちは上がり切った成長プラトーの位置にあり、人口増加も経済の伸びも技術革新も最近は鈍化する傾向にあります。
私たちはこれまでの経験から、将来も経済成長や技術革新は同じようなペースで進むだろうと思いがちです。でも著者は、さまざまなデータを示して、我々は既にスローダウンの時代に入っていると説きます。そして、それは決して悪いことではなく、考え方ひとつで私たちは安定した豊かな生活を享受することができるというのです。
興味深いのは、このスローダウン先進国として日本が挙げられており、日本は低成長時代の世界モデルになり得るということです。少子高齢化先進国でもあり、過去数十年の経済停滞期を考えると、そうかもしれないと思わせます。
そして著者は、減速する世界の中でひとつだけ加速しているものがあるといい、地球の気温を挙げます。経済危機やパンデミックで気温が減った時期もあるものの、長い期間で見ると地球の気温は上がり続けています。世界がこのまま加速していけば気温はさらに上がり続け、地球は破滅に向かうことになると著者は警告します。
その上の提言として、経済成長や利益を追い求める資本主義から脱却し、減速することで自由な時間を得、代わりに生活の質や精神的な豊かさに軸足を移すことで地球を救うことができるというのです。
人間は飢餓や貧困から脱したあとは、最低水準の収入さえあれば、そこそこ幸せな生活が送れるもので、資産の額に比例して幸福度や満足度が上がるわけではありません。大富豪といえども体は一つ。美食を尽くそうにも、豪華な家や車を楽しもうにも限りがあります。ぜいたく品を持たずとも、愛する家族や友人と楽しく語りあうときが一番幸せだったりするのです。
さらに大きくさらに新しく
今、東京ではバブル期に建てられたビルが半世紀を経て建て替え時期を迎えていることもあり、再開発ラッシュ。あちこちで高層かつ大規模のオフィスビルやマンションの再開発が進み、需要が供給を上回る「2023年問題」という課題も出てきています。さらに、再開発に伴う公共空間の侵害や既存建築物への影響といった弊害も各地で散見されます。
世界がスローダウン傾向にある今、低成長時代のモデルとして取り上げられる日本の首都で「さらに大きく、さらに高く、さらに新しく」というのは時代に逆行しているのではないでしょうか。建築物についても、既にあるものを壊してまで新しいものを建てる必要はなく、これまで使っていたものを直して使い続けるというのがヨーロッパでは常識。いわんや、老若男女、貧富を問わず皆が享受してきた公共空間や自然を破壊してまで、利権者の収益最大化のために開発し、投資用に新築高層マンションを買う欺瞞は破綻するのではないか。
少子化、人口減少が進む日本で、地方ではもちろんですが、都内でも空き家問題が問題になってきています。その世代限りの安普請で建てられた物件が多いが故かもしれませんが、解体するといっても、コストも労働力も環境負荷もかかります。建築資材の生産や供給、建築工事、その上解体工事にもエネルギーを消費し、温室効果ガスが出ます。気候変動問題解決、SDGsだと言いながら、限りある資源を浪費し、それが将来どうなるのかということを考えず無駄な建物を建て続けるのはいかがなものか。
東京の中心部にわずかに残る公共空間を破壊し樹木を伐採してまで、50年後に問題物件となるとわかっている建物を新築する意味があるのでしょうか、そしてその責任は誰がとるのでしょうか。その頃には責任者はこの世にいないから関係ない?
成長プラトーですべきこと
これまでの経済成長や技術革新で急速に豊かになった先進国に住む私たちは今成長プラトーに昇り詰めました。これ以上、上を目指すことはできないし、必要もないのではないでしょうか。見晴らしのいいプラトーで、今ある豊かな暮らしを大切に思う人たちと楽しむ時期に来ているのでは。
そして、高みに立っている者たちは、はるか下から這い上がってくる人々に手を差し伸べる時でもあると思います。国の間でも、国内でも格差はあり、まだ高みに立てていない人もいます。上にいる人たちが無駄に資源を浪費するのではなく、今ある資源を広く分け合うべきでしょう。