よそものが風穴をあける:入管法と難民、移民と地方移住者

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最近「よそもの」について考えることがいろいろあったので、つらつら書いてみます。まずは今審議されている入管法改正案に関連して、日本における難民や移民の問題。それとは少し異なりますが、最近増えてきた都会から地方への移住者にまつわる問題です。どちらも「よそもの」に対する抵抗があるために解決が難しい問題ですが、よそものって風穴をあけてくれる存在でもあるのではと思うのです。

 

入管法改正案

国会で審議中の入管法改正案に反対する声が上がっていて、4月21日は国会前で集会が開かれて数多くの人が参加していました。この改定案は難民申請が3回以上の場合は強制送還の可能にしている点や、収容期間の上限を設けていないことなど、数々の問題点があり、関係者をはじめ、国連人権理事会からも見直しが求められています。

難民申請が2度も却下されたのだから強制送還をすればいいという意見もあります。難民申請制度が適正に行われている国であるのなら、まだ議論の余地もあります。でも、実情がそうではないことは難民認定率などのデータを見るとわかります。

日本は2021年の調査で難民認定率が0.7%と1%にも満たないのです。そして、実際の難民認定数も1年で74件と他の先進国に比べて著しく低い状況。ちなみに、日本より人口が少ないドイツでは難民を約4万人近く受け入れているし、難民認定率もドイツが25.9%、カナダは62.1%、イギリスは63.4%と日本とはけた違いの数字です。

この背景には、命の危険があるために母国を逃れてきた難民を助けるという意識が政治にも、一般日本人社会にも十分に行き渡っていないことがあるのではと思います。

難民と移民

去年のロシアによるウクライナ侵攻のため、ウクライナから逃れてきた人たちを日本も特別に「避難民」として受け入れました。でも、同様に命の危険があるために母国を逃れるクルド人やアフガニスタン人などはほとんど受け入れていません。

母国に戻ると命や迫害の危険がある難民を送還することは、日本も加入している難民条約に違反します。日本も1970年代後半には「ボートピープル」と呼ばれたインドシナ難民を多く受け入れた歴史があります。

難民とは別に移民を受け入れるかどうかはまた別問題です。最近大きな問題となっている技能実習制度についても見直しが行われていて、政府の有識者会議ではこの制度を廃止し、中長期的な労働力を確保するためのものに移行する提案が検討されています。

都会から地方への移住者

外国から日本への難民移民とは異なりますが、都会から地方への移住をしたり検討したりする人もいます。

少子高齢化で過疎化しつつある地域の問題解決のため、政府も地方創生政策を進め、地域おこし協力隊や移住者に奨励金を出す制度などを行っています。地方自治体でも、移住促進のためのプロモーションを行ったり、移住者の支援制度を整備するなどして、移住を考える人たちに便宜を図るところが多くなっています。

けれども、地域おこし協力隊制度に応募するなどして都会から地方へ移住した人たちの中でも、地域にとけこめなかったり、慣れない田舎暮らしになじめない、人間関係でのトラブルが生じるなどして、うまくいかない人もいるようです。

地域の人にとっても、急に都会から知らない人たちが移住してきて、自分たちが長い時間をかけてずっと育んできた慣習やしきたりを無視して好き勝手にふるまう「よそもの」を心よく思わなかったり、最初は歓迎しても少しずつぎくしゃくしてきて村八分のような扱いになってしまうということもあると聞きます。

窮屈な田舎

日本はただでさえ均質性が高い社会で、見た目も言葉も文化や慣習もほとんど同じ人たちが暮らす国。たくさんの人が住む都会ではすれ違う人みな他人ですが、田舎となるとそうはいかず、各人の一挙手一投足がすぐに地元中に知れ渡ってしまうこともあるでしょう。

そんな田舎で生まれ育った私も若い頃はそれが窮屈にも感じたものです。それで、その田舎を飛び出して東京どころかイギリスくんだりまで来てしまったわけですが、この年になって実家がある故郷に戻ると、若い頃はどうしてあんなに窮屈に感じていたのだろうと不思議。

結局、狭い地域社会で期待される役割を演じなければならないことが窮屈に感じたのだと思います。今なら、若い頃は苦手だった人達とも、自分なりのやり方でリラックスしてつきあえます。

相手には外国かぶれした変人だと思われているのかもしれませんがね。

よそものが風穴をあける

最近、日系ブラジル人移民の親に育てられたという若者の話を聞きました。

彼が小学生の時、生徒に体罰を加える教師がいたそうです。その教師はそのことについて生徒が口外しないように圧力をかけていたのか、誰も他の教師や親に言うものはいなかった、または親は知っていても学校に報告しなかったのかもしれません。でも、その子の母親は子供のあざを見つけ聞いたのでその子は親に打ち明けたそうです。すると、その親はすぐに学校に行き、校長先生に対応を求めたのです。教育委員会に訴えると言われて学校側は対応し、その後、体罰はなくなりました。

集団の中でことを荒立てず、黙って我慢するという日本社会の同調圧力に「悪いことは悪い」と毅然と立ち上がった移民の母親のおかげで、彼も彼の友達も被害を受けることがなくなったのです。

その若者はその後、大きな集団で権力者から大勢の仲間と共に被害を受けていたことを告発して、その業界の問題が明るみに出ることになりました。他の「普通の」日本人仲間はずっと沈黙していたのですが。

社会や所属集団の多数派が同調圧力、仲間外れになりたくないという気持ちで、本来は向きあわなくてはならない問題に沈黙する中、彼は自分の内輪の問題だけでなく、社会全体を見据えて語ります。

「時代の流れで、日本人は岐路に立たされている、今まで通り自分に嘘をついて、周りに合わせていくのか、それとも自分の頭で考えて意見を言ったり、自分で自分や大切な人を守ったりしていくのか」

内輪で群れ合って集団生活をつつがなく送り、学校や仕事、その場しのぎの娯楽に身を任せ、不都合な事には目をつむって毎日を問題なく過ごす日本社会は一見平和ですが、みんな本当に幸せなのでしょうか。そんな日本社会の閉塞性に風穴をあけてくれるのが、自分自身の考え方や生き方ができる「よそもの」なのかもしれないのです。

少子高齢化が進む日本では、これから労働力不足のために外国からの移民に頼らざるを得ない状況になるでしょう。外国人に対して偏見や差別意識を持つ人もいる中、日本に来る外国人たちが嫌な思いをせず、歓迎されることを願います。でも、内向きになりがちな日本社会にとっては、多様性のある考え方を持ったよそものから受けるメリットは大きいはずです。

そして、それは、国内で移住者を受け入れる地方の町や村でも同様です。これまでのやり方に固執せず、外から新鮮な目や考え方を持ってきてくれる人たちを歓迎して、お互いに助け合ってほしい。

イギリスに住む移民として

私はイギリスに住む日本人なので、こちらでは移民です。イギリスには30年以上住んでいますが、国籍は日本のままだし、外見上も「普通」のイギリス人とは異なります。
私のような「よそもの」をイギリスは暖かく受け入れ、外国籍のままでも永住者としてイギリス国民と同じような権利を与えてくれていることにずっと感謝しています。
そのこともあるので、母国である日本もよそものを受け入れ、多様性を重んじる社会であってほしいと願っています。

この記事を読んでくださっている人はほとんど日本社会で暮らす日本人だと思うので、私とは異なる意見や感想があるかもしれません。
ぜひあなたのお考えも聞いてみたいと思っています。

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