エコテロリストと眠れるライオン:イギリスの環境活動とトラス首相辞任

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Tomato soup

「ひまわり」にトマトスープをぶちまけたラジカルな環境活動家と、経済成長を重視し環境を軽視する英トラス首相の政策に異を唱える「静かな」抗議を対比した記事を書いていたら、首相の辞任発表というニュースが入ってきました。首相が就任わずか45日目で辞任する理由としては、経済政策の失敗ということが主に語られていますが、他にもありそうです。日本ではほとんど報道されていないことですが。

ゴッホの『ひまわり』にトマトスープ

先日、ロンドンの美術館ナショナル・ギャラリーに展示されていたゴッホの名作「ひまわり」に、缶詰のトマトスープがぶちまけられるという事件が起きて話題になりました。

環境保護団体「Just Stop Oil」のメンバーである若い女性2人がイギリス政府の化石燃料政策に抗議し「地球と人類を守るため」におこなったということ。

2人はトマトスープをかけた後、手を接着剤で壁にくっつけて抗議の声を上げていましたが、しばらくして警察に連行されました。

絵画はガラスで保護されていたので損傷はなく、2人もそれを最初からわかっていてやったのでしょう。とはいえ、報道された様子を動画で見ただけだとガラスで保護されていることはわからず、かなりショッキングな光景でした。話題を集めるのには効果的で、そのニュースは国内外で報道されました。

スープをぶちまけて手を接着剤でくっつけたあと、一人は「アートと人の命とどちらがたいせつなのか?」とカメラに向かって叫んでいました。どうしてスープを選んだのかという疑問がわきましたが、この女性の訴えによってわかりました。

彼女たちは化石燃料反対ということだけでなく、ガス代高騰のため、一缶のスープを温める事も出来ない貧困層がいるということも訴えていたのです。これまでイギリス政府が化石燃料に頼り続け、再生可能エネルギーを推進してこなかったために、石油やガス料金が値上がりした今、電気やガス代が高騰して庶民が打撃を受けているということをも問題にしているというわけです。

この「Just Stop Oil」という団体は2022年2月、若者が中心となって設立した環境保護団体で、化石燃料依存に終止符を打つための活動を行っています。これまでもイギリスではエクスティンクション・リベリオンという団体などが道路を封鎖したり、石油企業のオフィスにペンキをまくなど過激な環境活動をしていましたが、その若者版といった感じ。捕鯨に反対して捕鯨船をねらうことから日本でもおなじみのグリーンピースなどと並ぶ「過激派」環境団体の一派といえます。

エコテロリズム:ラジカルな抗議行動

このように、気候変動問題に注意を促す目的で人目を引く抗議運動をする「エコテロリズム」が、イギリスほか世界中で見られます。少し前にはレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐』の複製画に同じく「Just Stop Oil」の活動家が体を接着させました。パリのルーブル美術館でも名作『モナリザ』にケーキをぬりつけた人がいたり、イタリアのでボッティチェリの「春」に手を張り付けたりする活動家も登場。芸術品を傷つけることが目的なのではなく、そのような衝撃的な映像が出回ることでより多くの人に自分たちの活動の目的を広めようとしているようです。

その背景には、おとなしく署名運動などしたところで誰もその声を聞いてくれないという焦りがあるのでしょう。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリが「もう時間はない。あなたたち大人はこれまで何をしてきたのか?」と激しく問う様にも通じるものがあります。

このような過激な活動について批判的な声を上げる人もいます。特に日本ではそのような批判を多く見受けるように感じます。抗議活動の手法について「芸術作品を傷つけなくても」「人に迷惑をかけるべきでない」「もっとまともとなやり方じゃないと聞いてもらえない」などという声。けれども、なぜ抗議をする人たちが、逮捕されることも承知で、そこまでの行動をしているのかという理由についてまでは考えが及ばないようです。

かつてイギリスで女性に選挙権がなかったとき、「サフラジェット」と呼ばれる婦人参政権活動家集団が、放火や建物の窓ガラスを割るなどしてテロまがいの抗議活動を続け、多くが刑務所に入れられました。サフラジェット代表者のエメリン・パンクハーストはそれまで「静かに」女性参政権運動をしていましたが、それでは誰も聞いてくれないため、攻撃的な手法に変更するしかなかったのです。その行為の良し悪しの判断は別として、この人たちの運動がなかったら女性参政権の付与はずっと遅れていたでしょう。

ラジカルな抗議活動に賛同する人は少数でも、関心のない多数の一般民に「この人たちはどうしてこんな過激なことをしているのだろう」と、その背後にある課題に気づいてもらうことはできます。そして時代が変わり、大衆の考えがそれを許容できる段階になった時、運動が成功することもあるのです。

英トラス新首相の政策

イギリスではジョンソンの後に就任したトラス首相を「第2のサッチャー」と呼ぶ人もいます。サッチャー首相は「英国病」で不景気に陥っていたイギリス経済を立て直すために、産業構造改革や国営・公営機関の民営化を反対の嵐の中、推し進めたことで「鉄の女」とよばれていました。「サッチャリズム」と名付けられた自由主義的経済政策の結果、イギリス経済は持ち直したものの、そのかげでさまざまな弊害もあり、首相を辞めて30年たった今でも彼女を忌み嫌うイギリス人は多いです。

トラス首相も女性であることもさながら、自由主義を支持し、リバタリアン的な政策を推し進めようとしていることでサッチャーになぞらえる人がいるのでしょう。就任早々のミニバジェットで高所得者層の減税を含む、さまざまな減税・金融緩和政策を発表しましたが、その財源についての裏付けがなかったために国内外で批判が相次ぎました。

世界の投資家も危機感を示した結果、株安、債券安、ポンド安というトリプル安をまねき、イギリス経済を混乱に陥れました。トラス首相はその経済政策を主導した財務大臣を更迭し、新しいハント財務相はたった数週間前に発表された減税策をほぼ撤回。トラスはこの尻ぬぐいで首相としての支持復活を願ったものの、そう簡単には行かず、支持率が7%にまで下落してしまいました。いくら首相についたばかりだとはいえ、このままではいかんだろうということで、保守党重鎮が彼女を辞任に追い込むのではないかとうわさされています。

(後記:その後トラスは10月21日に辞任を発表)

実はトラスの政策で人気がないのは経済政策だけではありません。自由な経済活動の促進を重視するあまり、他の側面、特に環境面での配慮がないということが大きな懸案事項となっているのです。

彼女のアンチ環境政策を批判する声は与党保守党議員からも上がっています。それらの多くは、郊外や田舎に住む、中~上流階級の保守的な中~高年齢層の支持を大きな基盤としていて、自らの信条はもちろん、地元(=有権者)からの反発も大きいからです。

トラス首相の環境政策

トラス首相は就任前から、イギリス経済を立て直すのだとして、自由な経済活動を妨げる規制をなくしていくことが重要だと言っていました。それには、さまざまな環境保護規制や都市計画制度も含まれます。彼女は、田園地帯やグリーンベルトを守るための開発規制や、野生動植物を保護するためのさまざまな規則があるために、開発やインフラ整備、産業進出が思うようにできないという産業界やディヴェロパーの声に耳を傾け、規制を緩和するべきだという方針なのです。

トラス首相は、環境保護派が反対しているフラッキング(ガス採掘)支持を表明したり、イギリス国民の多くが重要視しているグリーンベルト(都市の無秩序な膨張を抑制するための緑化地域)内での開発規制緩和を示唆したり、サッチャー政権下のエンタープライズ・ゾーンに似通ったインヴェストメント・ゾーンを導入して、指定地域内での都市計画規制を緩和しようとしたりといった、反環境規制、開発推進の姿勢を見せています。ジョンソン元首相が(環境問題に熱心な妻や父の影響もあってか)気候変動対策や環境を重視する政策を推進したのと対照的。

Brexitのあと、EUから引き継いだ数百に及ぶ環境保護に関する法律・条例を2023年末までに改正・廃止する法案を通そうとしたことも、自然保護団体や環境を重視する団体、議員、一般国民から大きな反発を招きました。特に、個々で静かに活動していた複数の自然・環境保護団体が一緒になって声を上げ始めたのは、これまでになかったことです。

それらの団体は。絵画にスープをぶちまけたり。道路を封鎖するような「過激な」活動をするような組織とは一線を画している「おとなしい環境派」です。バードウォッチング、釣り、山歩き、散歩、ガーデニングなどを趣味とする人々など、田舎好きな中~高年齢のミドルクラス層。おとなしくて礼儀正しく、普段は政治的な発言や活動などはしない人たちが属する団体で、その多くは保守党を支持しています。

その典型的な例がナショナル・トラストでしょう。ナショナル・トラストはイギリス中の自然や歴史的な建築物を保護保存するためのヴォランタリー組織で、会員が600万人います。イギリスのいたるところに海岸、緑地、歴史的邸宅、庭園などを持ち、その運営は民間の寄付や会費、ヴォランティアでまかなっています。

「田舎好き」が多いイギリスには、ほかにも、会員が120万人いるRSPB(野鳥保護の会)、それからアングリング・トラスト(魚釣りの会)、ワイルドライフ・トラスト(野生動植物保護の会)などさまざまな環境保護・自然愛好家団体があり、それらがすべてトラス政権の「反環境」政策を批判し始めているのです。

眠れるライオンを起こすのか

このような団体が政治的な発言をする事はこれまではあまりなかったので、これは異例のことです。そして、これらの団体が自らの会員を通して声を上げるとなると、過激派環境グループが目立った行動で運動するよりも、ずっと効果があるでしょう。

ラジカルな環境保護団体の活動は目を引くけれど、「普通」の人の支持を集めることは難しいものです。ただ、一般民やメディアの注目を集めて、どうしてそのような行動に至ったのかを知ろうとさせることで、課題についての関心を提起することはできます。

それに対して、ナショナルトラストのような団体が声を上げると賛同の声は瞬く間に集まります。会員数だけでもかなりの規模になるし、一般的にも信頼を置かれている組織ばかりだからです。このような組織経由でトラス政権の環境政策に反対しようとする人たちはデモ行進や破壊活動などの目だった行動はしません。その代わり、地元の国会議員や地方議員に手紙を書いたり、新聞やメディア投稿をしたり、知り合いの政治家、メディア、インフルエンサーに抗議の声を伝えるなどのロビーイング活動をするでしょう。

それは、『ひまわり』にかけられたスープと違ってメディアで報道もされず、私たちの目には見えないものですが、着実に起こっていることなのだと思います。与党保守党の議員の中にもトラス政権に異議を申し立てる人が増えてきているのがそれを物語っています。

トラス首相はいわば、「眠れるライオン」を起こしてしまったのです。普段はおとなしい眠れるライオンは、いったん目を覚ますと大きな力となります。

何らかの目的を持ち、それを広め賛同者を得るための運動というものは、過激なやり方と静かなやり方の両方が必要なのでしょう。若者やリベラル層にはラジカルな方法で注目を集め、そのようなやり方には眉をひそめるおとなしい人たちにはナショナル・トラストのような保守的な団体が働きかけるといったように。

後記:トラス首相辞任

と、ここまで書いたところで入ってきたニュースが「トラス首相が辞任を発表」。

就任からわずか44日という歴史上最短記録。後任は来週決めるとのこと。スナク元財務相が有力候補ですが、ジョンソン元首相も立候補するのではないかといううわさも。

おりしも、世論調査では与党保守党支持が19%で野党労働党の56%を大きく下回っています。

国民の2割しか支持しない政権に引っ張りまわされ、エネルギー価格高騰や物価高で、イギリスの冬は厳しいものになりそうです。

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