少し前に話題になった吉野家の「シャブ漬け」発言は、日本社会に根強く残る様々な場面での女性差別問題について改めて認識を強くするものでした。でも、イギリスから見ている私にとっては「またか」だったり「私は逃げ出せた」と一人勝手な安心感でつい済ませてしまいがち。神奈川県の女性活躍事業の話もあいまって、日本で意思決定層として活躍している年長男性の方に一言申し上げたいことを自己反省も込めて書きます。
社会人向け大学講座での「生娘シャブ漬け」発言
吉野家「シャブ漬け」発言についてはご存じの方も多いと思いますが、牛丼チェーン「吉野家」の取締役が女性蔑視発言で辞任に追い込まれたという話です。
4月16日に行われた早稲田大学の社会人向けマーケティング講座で、吉野家の常務が講師をつとめた際に「生娘シャブ漬け戦略」として、「田舎から出てきた若い女の子を牛丼中毒にする」「男に高い飯をおごってもらえるようになれば、(牛丼を)食べなくなる」などと語りました。
この発言が出た時には、主催者側も講座を聞いていた早稲田大学の教授なども何も言わず、笑っていた人もいたということです。けれども、受講者の一人である女性がこの発言について運営側に抗議したことで、講義の後で運営側から受講者に謝罪があったそうです。
その後、この女性がこのいきさについてFacebookで発信したことをきっかけに、ことの成り行きについて拡散されることになりました。FacebookやTwitterなどのSNSでは、この発言に関しての批判の声がかなり上がっていたようです。
早稲田大学では、すぐにこの件について謝罪コメントを出し、当の吉野家常務には講師をおりてもらうと発表しました。
ESG観点からも重要な企業倫理
吉野家も4月18日に公式サイトに謝罪文を出し「当該役員が講座内で用いた言葉・表現の選択は極めて不適切であり、人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではありません。」とありますが、当該役員については、「反省しており、謝罪予定である」としか語っていません。
けれども、吉野家に対する批判はこの謝罪文ではすまず、すぐに会社の株式に悪影響を及ぼしたようです。4月19日の株式市場で吉野家の株は3%下落しました。
これにあわてたのか、吉野家はその日の午後、当の常務を解任すると発表しました。実はこの日、吉野家は新作「親子丼」発表会を予定していたのに、それも中止したということです。
昨今の消費者は商品やサービスの良しあしだけでなく、企業倫理についても厳しく評価しているということが良くわかり、ESGの観点からもガバナンス(企業統治)について注意を怠ってはならないという例となりました。
吉野家発言だけではない
女性・ジェンダー問題について首をかしげざるを得ない言動はこれだけではありません。
つい先日もNTT社長が入社式のあいさつで「女性には女性のよさ、男性には男性のよさがある」と語ったことが報道されていて、30年前の話かとびっくりしました。そうかと思うと、今度は内閣府の研究会で少子化解決法として「壁ドン」教育が検討されているという話も出てきました。
そういえばと、東京五輪の時、森会長が「女性は話が長い」と言って辞任に追い込まれたころのことを思い出しました。あの当時、女性差別だけでなくほかにも様々な人権問題が表に出て、国際的なイヴェントであることもあり、あらためて日本社会の課題が浮き彫りにされた感をもったものです。そのほか、#MeToo #KuToo などの運動も盛り上がったし、医大入試で女子学生が差別されるという理不尽な慣行が明らかになったことも思い出します。
このような一連の言動は日本では決して珍しいものではなく、男性優位社会に深く根付いた本音がたまたま表に出たにすぎません。もぐらたたきのモグラがたたかれたようなもので、隠れている多くのモグラは固定観念をアップデートすることなく地下にうずまいています。
未だに選択的夫婦別姓が実現しないのも、社会の指導的立場に進出する女性が増えないのも、こういう背景があるからこそでしょう。
日本の「ジェンダーギャップ指数」は、世界156カ国中120位と低迷しています。特に、政治面での格差が目立ち、女性議員(衆議院)の割合は1割以下で193カ国中166位。安倍元首相が提唱した「ウーマノミクス」において、2020年までに30%を目指した女性管理職の割合は、2019年になっても7.8%です。
政治家や各界のリーダーが集まる国際舞台に登場する女性の割合が年々増えていくなか、日本代表は必ずと言っていいほど中高年齢男性。首相をはじめとして閣僚に女性がずらりと並ぶフィンランド、首相在任中に産休を取ったニュージーランドの首相をはじめ、政治家や組織・企業のトップに次々と女性が進出する中、先進国のはずの日本だけこれでいいのかと考えざるを得ません。
自治体の「女性の活躍応援」の在り方
とはいえ、「日本だって頑張っている」という声も聞こえてきます。昔に比べれば女性の地位は向上しているし、政府も自治体も企業もできるだけの努力はしている、ただ歩みが遅いだけだという見方もあるでしょう。
先日、その一例である、神奈川県の女性活躍事業について紹介する記事を見ました。その事業は「かながわ女性の活躍応援団」というもので、そのウエブサイトには、こうあります。
女性活躍推進に積極的で、神奈川県にゆかりの深い企業等の男性トップ20人と知事で結成。
啓発講座を行うなど社会的ムーブメント拡大に取り組んでいます。
「かながわ女性の活躍応援サポーター」は、女性の活躍に向けて「よし、やろう!」と思い立った企業・団体等の男性トップの皆さんに自主的にご参加いただける制度です。
この記事によると、2015年11月にサイトが開設されたとき、応援団メンバーの写真に女性の姿がないことで疑問の声が上がっていたそうです。とはいえ、神奈川県内の企業トップの9割が男性で、それを改善しようと設立したわけなので、設立されたばかりなら仕方がなかったのかもしれません。
それでは、今はどうなのでしょうか。7年もたったのだから、かなり女性の活躍が推進されたのではと思うのですが。
この写真を見ても男性20数人がずらっと並ぶ状況は変わっていないようです。アドバイザーとして県の男女共同参画審議会会長である女性が1人いるだけ。
応援団員と応援サポーターのページの顔写真も同じく、男性ばかりがずらりと並んでいます。それもそのはず、神奈川県内トップの男性割合が9割なのは、7年経った今も変わっていないということです。
7年経ってこの状況ということは、この「女性の活躍応援団」には意味がなかったことを証明しているようなものなのではと感じます。
解決法:多様性のある社会へ
日本社会がいつまでたっても男性優位のまま、女性が活躍できないのはどうしてなのでしょうか。この状況はどうしたら解決できるのでしょうか。
まず必要なのは、社会の多様性を促進することです。
同じような年齢、性別、職業、階層などの属性の人々がそれぞれ同じような属性の人とだけつながるのでなく、多種多様な人々と接することで、自分とは異なる考え方や価値観を知り、理解すること。
異なる意見や考えを持つ人々と同意できない部分があっても、それはそれとして受け入れ、そういう考え方があるのだということを理解すれば、不注意な発言は慎むようになるはずです。
森会長の「女性は話が長い」も吉野家の「生娘シャブ漬け」も、そういう表現を不快に思う人、適切でないと判断する人が周りにいて、それを率直に言える文化があったら、あれほどの「事件」にはならなかったでしょう。
特に、時代に合わせて日本社会をなるべく早くアップデートしていくためには、政治、組織、企業などのトップ/意思決定層に女性や若者を増やすことが重要です。日本のようなトップダウン式統治社会では、意思決定層の文化を変えることなしには変化を起こすことが難しいからです。
逆にいうと、トップさえその気になれば、日本人はかなり素直にその決定に従う傾向にあるので、スムーズに移行できそうです。
政府も自治体も長く「女性活躍」をうたってきましたが、これまであまり効果が上がっていません。女性リーダーの数を増やすことはもちろんですが、女性の意見を聞き、適切なサポートを提供し、長期的に女性を育成していくという観点も必要です。女性は活躍できない、したくないのではなく、単に活躍する機会やサポートを与えられてこなかったのです。
女性が活躍するためには、男性をも対象にした「働き方改革」も必要です。
女性が「男性なみ」に働かないと活躍できないような社会では、女性も男性も子供も幸せにはなりません。家事育児をすべて引き受ける専業主婦に支えられた男性にしかこなせない長時間労働や頻繁な出張、突然の転勤といった雇用慣行を続けている限り、女性は活躍できないし、男性は家庭の一員としての責任を引き受けたり、幸福を享受することもできません。
男性も女性も、家庭と仕事をシェアして両立できる世の中にする事で、男女合わせたトータルの労働時間も、生産性も、幸福度も増すようになるでしょう。この方が「壁ドン」教育より、よっぽど少子化解決に役立つはずです。
無意識の偏見
女性蔑視とかセクハラとかの話をしていると、日本人男性の知り合いには「最近は何か言うとすぐたたかれる、窮屈な世の中になった」「へたに女性をくどくこともできない」「きれいだねとほめるのがどうしていけないのか」と本音をもらす人もいます。
女性問題について「失言」をしてしまう男性は悪気があるわけではなく、純粋に自分が思ったことを無意識に口にしているようです。中~高齢男性にとっては、自分の考え方や意見は何も変わっておらず、少し前の時代なら当たり前だったこと、笑って許されていたことが、今は許容されなくなってきているということに単に気が付いていないということなのでしょう。正直に「何が悪いのかわからんから、うっかり何も言えなくて困ってしまう。」と打ち明ける人もいます。
中には、女性や若者不在のホモホーシャルの仲間内で、少し過激な発言をして笑いを取るような場面もあるでしょう。その場に少数派である、またパワーバランス的に弱い立場の女性や若者がいたとしても、その人たちは違和感がある発言について何も言えないかもしれません。そういう場に慣れてしまって同じような調子で言う話を外部の人が聞くと、驚いたり不愉快な思いをするということが起きてしまうのです。
自分が言っていることに問題があると知りつつ意図的に仲間内で冗談を言っている場合はまだいいのですが、悪気のない無意識の「失言」には注意が必要です。特に、社会的に地位が高い中~高齢男性にこのような人が多いのは、いつも周りの人が気を使っているためでしょう。
この人たちも時代に合わせて価値観や常識のアップデートが必要なのに、周りの人たちがそれを容認してきたということも問題です。これは、特に日本社会に顕著な、空気を読んでその場が気まずくなるのを避けたい、目の前の人の失言を指摘したり、反対意見を言うのは失礼だという文化が背景にあります。特に上司や目上の人に対してはそうなりがちだし、中~高年齢層だと家庭内でも女性が配偶者に対して不適切な言動を許してしまっていたりもします。
日本の年長男性が、自らの固定観念や言動が不適切だと気が付かないのを許してきたのは年長女性でもあるというのは、自分自身の反省でもあります。私自身もこれまで日本人男性と接する中で、不適切だとか不愉快だと思うようなことがあっても、ことを荒立てないために許容してきたことがあるからです。私が住むイギリスでは許されない、考えられないようなことでも「日本人だから仕方がない」と思うことがよくありました。
でも、それを指摘する人がいないと日本の女性はいつまでたっても報われないし、当の男性ためにもなりません。ひいては日本社会、そして国際社会での日本の悪評価にもつながります。
SDG5 ジェンダー平等を実現しよう
日本をよく知る外国人女性は「日本は好きだけど、女性の権利が尊重されていないから住みたくはない。」「日本の女性は大変そう。私は日本に生まれなくてよかった。」と言うし、男性は「日本の女性はかわいそう。家族に尽くすばかりで、自分の人生を全うできない。」「日本の男性はどうして家のことを何もしないのか?」と言います。
国連が取り組むSDGsの目標のひとつに「ジェンダー平等を実現しよう」があるように、持続可能な世界を達成するためには「ジェンダーの平等を達成し、すべての女性及び女児のエンパワーメントを行う」ことは世界的な優先事項です。差別撤廃、女性への暴力排除、女性のリーダーシップ推進、家事・育児・介護など無償労働の問題もターゲットに含まれています。
世界でジェンダー平等を重視するのは、理不尽な不平等がまかり通っていた時代から、ジェンダーや人種などあらゆる差別をなくす社会に向かおうという人権尊重の考えがあるからです。
そんな差別を容認し続け、これまで通り力がある人がのさばり続ける社会を改善しようとしない国であるというレッテルをはられたままでは先進国として恥ずかしいし、国際社会のリーダーとしての地位を失ってしまうことになりかねません。
SDG 5 ジェンダー平等を実現しよう
GENDER EQUALITY
ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の教育や社会進出を推進する