ロシアのウクライナ侵攻が始まってから1か月になりましたが、未だに戦争は終わりの兆しが見られません。ウクライナのゼレンスキー大統領は各国に向けて支援を要請する演説をしていますが、日本でも行われたので聞いた人もいるのでは?全く異なる話題ですが、気候変動やSDGsについての情報拡散が難しいという悩みをよく聞くので、彼の発信方法からヒントを学べるのではないかと思いました。
ウクライナ政府の情報戦略
戦禍のさなかにある国の大統領が外国の国会向けに演説を行うのは異例のこと。デジタル化が進んだ今だからできることでもあり、隔絶の感があります。
とはいえ、ゼレンスキー演説の話が持ち上がった当初、日本の国会では「前例がない」「オンライン配信設備がない」などの声が上がってもいました。結局、無事に終えることができたので、これを機にオンライン国会も視野に入ってくるかもしれません。
デジタル化がなかなか進まない日本とは対照的に、ウクライナ政府はデジタル化や情報戦略面でずっと「先進国」ぶりを発揮しています。
ロシアがウクライナに侵攻した2月末からは、政府がSNSを駆使してメッセージを発信したり、支援を募ったりということがオープンに行われていました。
私は主にTwitterで目にしていますが、ゼレンスキー大統領(の広報担当、たぶん)はウクライナ語と英語の両方を使って、国民と世界に毎日のようにメッセージを発信しています。
さらに実践的な力を発揮しているのが、デジタル大臣を兼務している31歳のフェドロフ副大臣です。大学卒業後自ら広告会社を創業し、事業家を経て最年少で大臣になったという人らしく、革新的な方法で次々と実務をこなし、成果を上げています。
ウクライナ侵攻に抗議するためのロシアに対する経済制裁には。世界中の国際企業がこれまでにないスピードで参加しましたが、このかげには彼の働きかけがありました。
ロシアの侵攻が始まると、彼はGoogle、Microsoft、Appleなど世界中の企業に支援やロシアへの経済制裁を、SNSを通じて直接呼び掛けました。さらに、Master, Visa, Paypalなどに対してロシアでの金融サービスを停止するように求めました。
このような要請は個々の企業への閉じたコミュニケーションではなく、世界中の一般SNSユーザーの目の前で行われます。そして、呼びかけに応じてくれた企業にはすぐにSNS上で名指しで感謝を発信するのです。
これでは、企業として自社の利益のために抜け駆けしてビジネスを続けることが難しかったでしょう。すぐに呼びかけに応じなかった大手国際企業には、SNSなどでボイコット運動も起きていましたから。
大臣はイーロン・マスクにも人工衛星で宇宙からインターネットに接続できる「スターリンク」を要請していましたが、すぐにその要望は受け入れられました。実際にウクライナにはスターリンクが提供され、インターネット通信他に活用されています。
さらにウクライナ政府は「IT軍」を創設して世界中からSNSを通じ「志願兵」を募るなど、スタートアップ企業のノリで政治や戦争が行われるというのがイマドキだなあと思いました。
ゼレンスキー大統領の発信力
ウクライナのゼレンスキー大統領はコメディー俳優出身ということも関係あるのか、効果的な情報発信と「見せ方」にも精通しているようです。
たとえば、ウクライナに侵攻してすぐにロシアが「ゼレンスキーは国外逃亡した」という情報を流すと、すぐにそれを否定するためにセルフィー動画を撮ってSNSで発信していました。
首都キーウ(キエフ)であるとわかる場所で、他の大臣と共にスマホのセルフィー動画で国民に「私たちはここにいます。安心して下さい。」とメッセージを送っていたのです。
ゼレンスキー大統領はその後もウクライナ国民にSNSで動画メッセージを送り続けました。
ロシアは軍事進攻によってウクライナを数日で陥落できると思っていたようですが、ウクライナ軍の士気や一般国民の団結力が高く、苦戦しています。
ロシアだけでなく他の外国も、もしかするとウクライナ人自身も驚くほど、国民が団結して戦う気概を発揮しているのは、このようなトップの発信力にも理由があるのではないかと思います。
紛争前にそれほど高くなかったゼレンスキー大統領の支持率が、紛争後に91%に急騰したのがそれを物語っています。
ゼレンスキーの各国への演説
ゼレンスキー大統領はロシアによる侵攻が始まった2月24日、ヨーロッパの首脳とオンラインで話をしていますが、その時のスピーチを聞いた欧州首脳は皆、心を動かされたそうです。
「我々は欧州の理想のために死んでも戦う」「私はロシアの殺害リストのトップ、2番目は私の家族。これがあなた方が私の生きた姿を見る最後になるかもしれません。」と聞き、二度と彼に会えないかもしれないと思った首脳も少なくなかったと聞いています。
この日から、ヨーロッパの方針はがらりと変わりました。
それまでは域外の国に武器を供与することはなかったのですが、すぐにウクライナへの武器の供与や軍事支援を決めました。そのほかにも、それまでは経済やビジネスのために続けていたロシアへの渡航を制限したり、厳しい経済制裁措置が導入されました。
第2次世界大戦後、軍事面であまり大きい役割を果たそうとしなかったドイツも、歴史的な転換をはかって防衛費をGDP2%超に増額を決めました。
このような方針の転換について「ゼレンスキーがウクライナを救えないまま消えてしまったとしても、彼は欧州に歴史的な変化を起こした。」と評した識者もいます。
さらにロシアによる侵攻が進む中、ゼレンスキー大統領は、3月8日のイギリス国会を始めとして、カナダ、ドイツ、米国、イスラエル、フランス、日本など各国の国会でオンライン演説を始めました。
各国の国会議員を前に、ロシアによるウクライナ侵攻の不当性を訴え、国を守るために団結する国民の強い意思について伝え、自国を支援するための武器や資金面での支援、さらにロシアに対しての経済制裁について要望するメッセージです。
いずれもメッセージの主となる点は同じとはいえ、それぞれの国に合わせて一番効果的に響くように内容や文脈が異なっていて、どの国でもそれを聞いた議員たちが思わず立ち上がって拍手してしまうような感動を誘うものでした。
ゼレンスキーから学ぶコミュニケーションスキル
ゼレンスキーのスピーチや発信から、コミュニケーションスキルとして学べるポイントをまとめてみました。
聴衆を知りカスタマイズする
ゼレンスキー大統領は各国で演説をしていますが、すべてが同じ内容のものではなく、それぞれ文脈や言葉使いが異なります。
聴衆に合わせて、話す内容から語り掛けるトーンまで、注意深くカスタマイズしているのです。聴衆がどんな人たちなのかを知り、その人たちの心に響く言葉が何なのかを調べることで、聞く人の心に深く響く効果的なメッセージになっています。
このことは、演説だけでなく、彼がSNSを通じて発信するメッセージでも同様です。自国民に自国語でメッセージを送るのは当たり前ですが、彼はそれ以外にも様々なメッセージを発信しています。敵であるロシアに向けても、戦争を止めるようにメッセージを送っています。
たとえば、ロシア兵の母親に、ロシア語で送った動画メッセージはこのようなものでした。
あなたの息子は軍事演習だとだまされてウクライナに送られ、隣人を殺せと命令されています。
この戦争で何人ものロシア兵がプーチンによる無意味な戦争で命を落としているのです。
愛する息子のために、ロシア政府に戦争を止めるように働きかけてください。
ほかにも、Facebookでヘブライ語でユダヤ人に対しての特別なメッセージを送るなど、相手に合わせて響く言葉を選んで、効果的な発信をしています。
自分の言葉で語りかける
多くの日本の政治家が議会や記者会見などで話す言葉は、誰かが用意した文章をただ読んでいるだけなのだろうと思わせる内容が多く、心に響いてきません。
ゼレンスキーの場合も、かげには優秀なスピーチライターや広報官の援助があるのかもしれません。でも、彼が発するメッセージを聞いていると、本当に伝えたいことを彼自身の言葉で正直にそのまま、自分に向かって語っているのだという印象を受けます。
だから、聞いていて心に響かないとか、話を何となく聞いたけど、後で何も印象に残っていないということがありません。
借り物の言葉を並べて、もっともらしく立派に聞こえることを口にするのではなく、自分が本当に伝えたいことを自分の言葉で目の前の聴衆(オンラインであっても)語りかけることが聞き手の心に響くのです。
メッセージを絞って簡潔に
長い話を聞いていても、トピックがあちこちに飛んで、結局何を言いたいのか要点がぼけてしまう話し方をする人が多いように思います。
ゼレンスキーは伝えたいメッセージのポイントをしぼり、それを簡潔にわかりやすく話します。
なので、要点がすっと頭に入ってきて、話を聞いた後でもしっかりとそのポイントが頭に残ります。そうすると、聞いたことを覚えているので、それをまた他の人に伝えることもできます。こうして、メッセージがより広く伝わっていくのです。
キーワードや比喩を使う
ゼレンスキーは俳優出身だからでしょうか、メタファー(比喩)や引用の仕方が巧みで、話のはしばしにキーワードを効果的に使います。
ドイツ国会での演説ではウクライナ語でもはっきりわかる部分があったのですが、それは「エコノミー、エコノミー、エコノミー」です。大事なキーワードをゆっくりと3度繰り返したので、よくわかったのです。
これは、ドイツにロシアへの経済制裁を導入するように頼んだ時に「経済が重要なのだ」と返ってきた言葉ですが、これについて強く非難し、今こそ制裁を強めてくれと改めて要求しています。
ドイツ国会ではさらに、冷戦の終末の象徴であるベルリンの壁の崩壊になぞらえて「自由と不自由の壁を壊して」と語りました。これは、東西ドイツの統一という歴史的瞬間を覚えているドイツ人の心に響いたことでしょう。
ゼレンスキーは先人の有名な言葉を引用することにも長けています。それも聴衆別にカスタマイズし、イギリス国会ではシェークスピアやチャーチル、米国ではキング牧師、フランスではジャン・ポール・ベルモンドといった具合に芸が細かいのです。
たとえば、同じ引用でもチャーチルの言葉を日本の国会で語っても知らない人もいるし、それほど心には響かないでしょう。けれどもチャーチルのあの演説は、議員たちがゼレンスキーの演説を聞いたのと、まさに同じ議場でチャーチルが第2次世界大戦時に行ったものです。ナチスドイツとの戦いで苦境に陥っていた時に「我々は戦う」と国中を鼓舞した歴史的演説として、英国国会議員としては特別な意味合いを持つものだったのです。
演説ではあらかじめ原稿を用意できるので、ああいう上手な引用ができるのだろうと思っていましたが、ゼレンスキーはとっさに機転の利いた受け答えができる人でもあるようです。
ロシアの侵攻で暗殺の危険があるために、米国や英国がゼレンスキーに首都から逃げる準備をしていると提案した時、彼はこういったそうです。
I need ammunition, not a ride.(私に必要なのは弾薬だ、逃げるための車ではない)
他分野でのコミュニケーションのヒント
身近な事としてとらえにくい気候変動問題についてのコミュニケーションについては、以前にも記事を書いたので参考にしてください。
それに加えて、最近よく聞くのが「SDGs」について発信することの難しさです。SDGsには17ものゴールがあり、とっかかりが難しいというのがその理由なのかもしれません。
自分にとっては大事な事でも、伝える相手にとっては関心がなかったり、優先順位が低かったりする場合、どのようにメッセージを伝えるかは難しいものです。
ゼレンスキー大統領のコミュニケーションスキルからヒントを得て、次回に役立ててみてはどうでしょうか。
https://globalpea.com/ukraine-energy
https://globalpea.com/climate-communication
https://globalpea.com/climate-young