イギリスで3月3日にスナク財務相が2021年度の予算案を発表しました。毎年この時期になると、財務相が国会で予算演説をするのですが、今年はコロナ対策の支援金がどうなるのか、そのための資金はどこから出るのかということで特に国民の関心が高かったと言えます。
スナク財務相はコロナ経済対策として計4,070億ポンド(約61兆円)の予算を計上し、イギリス経済が回復するまでの休業者支援などに充てるとしました。
イギリスのコロナ経済対策予算
一般国民の間で関心が高かったのは、3度目のロックダウン中も恩恵にあずかっている人が多い一時帰休中の従業員給与補償についてです。政府が従業員の給与80%を支給する補償は5月末までとされていたのですが、スナク財務相はこの期間を9月末まで延長すると発表しました。コロナで減収となった自営業者への補償も同様に9月末までに延長されることになりました。これには、ほっとした従業員・雇用者や自営業者が多かったと思います。
さらに、ロックダウンで低迷している宿泊や飲食業界のVAT(日本の消費税にあたる付加価値税)が20%から5%に一時的に引き下げられていた施策も9月末まで延長され、ロックダウン緩和後に再開する店舗への一時金も支給されることになりました。また、ずっと閉鎖を余儀なくされている劇場や博物館・美術館などのアート業界やスポーツ界にも支援金が約束されました。
財源は法人税引き上げから
これらの予算が一体どこから出るのかということで、所得税や消費税が引き上げられるのではないかと心配していた人もいました。けれどもパンデミック前は「小さな政府」を目指し緊縮財政を続けてきた保守党政府は、一般国民を対象とした増税ではなく法人税引き上げという手段を選んだのです。これはサッチャー以来、約半世紀ぶりの方向転換です。
スナク財務相は「人気がない政策だとは認識している」と言いつつ、一般国民への負担増を避けるために、2023年から法人税率を現行の19%から25%に引き上げることについての理解を求めました。この頃には多くの企業もコロナによる経済打撃から回復しているだろうとの見方です。また、対象となるのは大企業だけで利益が5万ポンド(約750万円)以下の法人には適用されず、増税対象になるのは法人のうち約3割になるということです。
環境と地方創生
このほか、今回の英予算発表で、環境や地方創生の観点から特筆すべき点もありました。
まずは、ジョンソン首相が発表した、気候変動問題への取り組みである「緑の産業革命」を支援するために「グリーン・ボンド」を発行して財源に充てるということです。グリーン・ボンドは気候変動対策や再生可能エネルギーなど環境分野への取り組みに特化した資金を調達するために発行される債権のことです。
グリーン・ボンドはこれまで各国で発行されていますが、イギリス政府は世界で初めて個人投資家向けに150億ポンド(約2兆2000億円)のグリーン債を発行し「緑の産業革命」プロジェクトを推進するねらいです。
さらに、政府は経済、投資、雇用機会が首都ロンドンやその近辺にだけ集中することなく、全国に分散するためのさまざまな政策をも導入しました。
「フリーポート」
そのひとつが「フリーポート(自由貿易港)」地区をリヴァプールやプリマスなど全国各地8か所に設置することです。ブレグジット後の貿易を呼び込むためのエンタープライズ特区とも呼べるこの制度は、関税や税金、通常の煩雑な規制なしで輸出入ができたり、地区内の企業に優遇税制が認められるもの。
これまでEU規制下では税制やさまざまな法律などにおいて勝手な規制緩和ができませんでしたが、EU離脱によりイギリス独自の特別経済地区ルール導入が可能になりました。この制度を通してこれまで地域経済衰退にあえいでいた地方の港湾地域に企業を誘致し、投資を呼び込み、雇用創出や地域経済活性化に貢献できると期待されています。
フリーポートが指定された地域は下記のとおりです。
- East Midlands Airport
- Felixstowe and Harwich
- Humber region
- Liverpool City Region
- Plymouth
- Solent
- Thames
- Teesside
地方の街を支援する「タウンズ・ファンド」
さらに政府は「タウンズ・ファンド」という、中小規模の街を支援するための支援金についても発表しました。全国各地から選ばれた45の街にそれぞれ1230万ポンドから3750万ポンド、合計10億ポンド(約1500億円)を提供します。その多くは「The North」と呼ばれる、イングランド北部や中部など、グローバル資本主義による経済発展から取り残されてきた地域の地方都市です。
これまで英政府やEUが支援してきた都市再生プロジェクトはマンチェスター、バーミンガム、グラスゴーなど比較的大きい都市が対象となっていました。けれども、今回の「タウンズ・ファンド」では地域経済の衰退、高齢化、人口減少、インフラ不備などに悩む、地方の中小規模の街に長期的な経済活性化を促すことを目的にしています。特にタウンセンター(中心市街地)に投資を集中させ、経済的、社会的、文化的な資産を豊かにするための戦略的な都市計画方針を打ち立て、実行するプロジェクトを支援することがねらいです。
新型コロナウィルスによるロックダウンの影響で経済的打撃の大きいタウンセンター(中心市街地)の商業エリアの復興や、すべての住民が利用できるタウンセンターへのアクセス、周辺地区に住む住民が享受できる商業・文化・アート・コミュニティサービス、さらに脱炭素化社会を目指すためのグリーンな政策に重点が置かれています。例えば、従来行われてきたような道路インフラ改善などではなく、自転車道や歩行者専用スペースの導入・拡充や植樹、広場や公園などの公共オープンスペースの確保、タウンセンターの魅力改善などを後押しするとしています。
タウンズ・ファンドの対象となる街を地域別に挙げると下記になります。
North East: Middlesbrough; Thornaby-On-Tees – £46m
North West: Preston; Workington; Bolton; Cheadle; Carlisle; Leyland; Southport; Rochdale – £211m
Yorkshire and the Humber: Wakefield; Whitby; Scarborough; Grimsby; Castleford; Goldthorpe; Scunthorpe; Morley; Stocksbridge – £199m
East Midlands: Newark; Clay Cross; Skegness; Mablethorpe; Boston; Lincoln; Northampton; Staveley; Mansfield – £175m
West Midlands: Wolverhampton; Kidsgrove; Rowley Regis; Smethwick; West Bromwich; Burton-upon-Trent; Nuneaton – £155m
East of England: Lowestoft; Colchester; Stevenage; Great Yarmouth; Ipswich; Milton Keynes – £148m
South East: Crawley; Margate – £43m
South West: Swindon; Bournemouth – £41m
一極集中是正のため政府機関を地方に移転
ジョンソン政権は「レベリング・アップ(均一化)」政策として、ロンドン一極集中を是正し地方との経済格差をなくすことを公約に掲げています。このための目玉対策が政府関連機関をロンドンから地方に移す計画で、これにより2030年までに22,000人の国家公務員の仕事をロンドンから他地域に移す目標をすでに発表しています。
これまでは政策決定権がロンドンに一極集中し過ぎていたと、官僚トップもこの政策を支持しています。国家公務員の仕事というものは、首都やその一部だけでなく、国全体の意見を反映し、その恩恵を均一に分配するのが当然というわけです。
すでに、住宅・地方自治省の一部が公務員500人と共にイングランドの中部のウルヴァハンプトンに引っ越しました。また、デジタル・文化・スポーツ省と外務省の一部は北西部のマンチェスターに移ることが決まっています。
今回の予算ではこの改革の一環として、「北の財務省」をイングランド北部ダーラム州のダーリントンに設置することが発表されました。ロンドンからこの街に、財務省、ビジネス・エネルギー・産業省、国際貿易省、住宅・地方自治省などの一部を移すという計画で、750人の国家公務員が引っ越すとされています。さらに「国家インフラ銀行」をヨークシャー州リーズに新設することも決まりました。
保守党ジョンソン首相の改悛
これまで与党保守党はどちらかというとロンドン郊外の住宅街や南部の田園地帯といった裕福な地域のミドルクラス以上の人々に支持されてきました。けれども2019年の総選挙ではこれまで左派労働党支持者が多かった中部や北部の労働者階級が多い選挙区で保守党が票を得るという結果となり、保守党の大勝で終わりました。代々労働党の国会議員を選出していた地域で初めて保守党の議員が選出された地域も少なくなかったのです。
この総選挙後のスピーチでジョンソン首相は「初めて保守党に票を入れてくれた人たちに報うことを約束する」と語りましたが、その公約を果たすための「レベリング・アップ」政策ともいえます。これまでグローバル資本主義、自由競争、ビジネス重視の政策を続けてきた保守党がここにきて野党労働党の出番がなくなるかのような社会主義的ともいえる政策を打ち出してきているのは、予期せぬパンデミックによる打撃あってこそのものなのかもしれません。
自ら新型コロナウィルスにかかりICUで死の淵をさまよったのち回復したジョンソン首相が言った「社会は存在する」と語った言葉が思い出されます。これまでの緊縮財政を改め、イギリス社会のすべての人たちのために役立つ施策を続けて行ってほしいと願います。