セミパブリックスペースとしての前庭

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Front Garden

イギリスでコロナによるロックダウンが始まってから、毎朝家族三人で散歩に行くようになりました。行先は歩いて15分くらいの野原、ちょっと遠い公園、時間があるときは徒歩25分くらいのところにある大きな公園、もう少し時間がかかる別の公園などさまざまです。住宅街に住んでいるので、そこに行きつくまでに大きな道路を横切り、様々な「普通の」生活道を通ります。実は私はこういう住宅地にあるフロントガーデンを見ながら歩くのが好きなのです。

散歩道で見るフロントガーデン

歩道から見える「フロントガーデン」すなはち個々の家の前のスペースは実にさまざまで、高い塀が続くような景色と異なり、目を楽しませてくれます。

このあたりの家はデタッチトハウスと呼ばれる一軒家やセミデタッチトハウスと呼ばれる建物が二軒に分かれている家が多いのですが、ほとんどの家にフロントガーデンがあります。前庭といってもただ庭というわけではなく、車を止めるスペースがあるくらいのスペースが楽にあるものが多く、だいたい家の幅と同じくらいの深さの長さのフロントスペースがとってあります。

イギリスでは公の道路に面する庭の塀は1メートル以下が基本で、それより高い塀を立てるには都市計画許可が必要となります。この街にはヴィクトリア朝時代、19世紀終わりごろに建てられた家が多く、都市計画制度ができる前にデザインされたものですが、道路に面する塀はおおむね1メートル以下。その上部に鉄の柵を取り付けている家もありますが、中は丸見えとなります。フロントガーデンというのは他人に見られることを前提にデザインされたスペースなのです。

建てられた頃は芝生や花壇などが主だったはずですが、今はどの家でも1台か2台は自家用車を持っています。フロントガーデンもその半分が敷石やアスファルト、砂利が敷き詰められて駐車スペースとなっているところも多いようで、それ以外が芝生や花壇、鉢植えやコンテナーなどの植栽で飾られています。

それぞれの庭を見ながら散歩していると、季節それぞれの趣を見せてくれる樹木や花壇などの植栽、きれいにメンテナンスされた芝生、子供の三輪車が無造作に置いてある庭など、そこに住む人の趣味や生活スタイルまでわかってしまうため好奇心もそそられます。初めてイギリスに来た頃同じような郊外の家にホームステイしていたのですが、見慣れない外国の風景の一つとしてご近所のフロントガーデンを眺めながら散歩するのが楽しかったことを思い出します。

セミパブリックスペース

イギリスの住宅のフロントガーデンは私有地であるとはいえ「セミパブリック」と言っていいスペースです。住宅をはじめとする建物の外観も同様ですが、公の目にうつる景観である以上は「私=プライヴェート」のものであれ、外から見えることを意識してデザインされ維持されており、所有者・居住者はその責任を感じています。

家の中は散らかり放題で、家の裏側にあるバックガーデンは芝生を刈らず草ぼうぼうの荒れ放題でもいいのですが、家の前だけは最低限の手入れをして窓もドアもペンキ塗りを欠かさないのが基本というわけです。

もちろん、建物の外見にしても同様です。家の中のインテリアは個人の趣味でピンクの壁にサイケデリックなカーペットまたは超モダンな家具でそろえてもいいのですが、建物の外観はその建築物が建てられた時代のスタイルを踏襲し、周りの建物や景観にそぐうようなデザインを維持します。目立ちたいからと言って自分の家だけ赤い屋根にしてみたり、新築する際に「イタリアンヴィラ風」の家を建てたりはしません。

ヨーロッパの景観

イギリス人だけではなく古くからの歴史が続く欧州諸国では公共財産としての景観を大切にします。一軒一軒が目立つのでなく、全体としてまとまった落ち着いた景観を維持するために、そこに暮らす人々一人一人がそれぞれ努力しています。もちろん法律や制度で取り締まっているからということもありますが、その制度をみんなが必要だと思い支持しているからこそ、その仕組みが続き守られているのです。

私がそもそも都市計画を勉強したいと思ったのは、数十年にヨーロッパへバックパッキング旅行に行き、イタリア、スペイン、フランスなどを回った時にその落ち着いた町並みに感動し、日本へ帰国したときに見る自国の景観との差に唖然としたからです。ヨーロッパの景観がどうしてかたちづくられ、そして維持されているのかその仕組みを知りたかったのです。

その仕組みについてはイギリスの都市計画制度を勉強することで理解できました。かなり厳しく、しかも複雑で手間もかかる制度や法律をもうけ、それをみなが遵守していることで景観が守られているのだということがわかりました。

けれども法律や制度だけでなく、その背景として「パブリック」という意識が市民一人一人に根付いているということが、イギリスに暮らすうちにがわかってきました。

パブリックとは

都市計画制度では「1メートル以上の高さの塀を建ててはならない」という決まりがありますが、フロントガーデンをきれいにして外を歩く人の目を楽しませることは法律で決まっているわけではありません。前庭をゴミだらけにしたり草ぼうぼうにしても逮捕されるわけではないし、まれに誰も住んでないのか、そういう庭を見ないわけでもありません。

けれども、多くの人が人の目に触れるスペースとしてフロントガーデンをなるべくきれいに維持しているのは「パブリック」の精神からでしょう。「パブリック」というと政府や自治体といった「官」のイメージもありますが、そうではなく「公(おおやけ)」すなはち「私ではないもの」といった意味合いです。社会とかコミュニティと言い換えてもいいかもしれません。

日本でいう「世間」とは身内のことであり、親せきや知り合い、ご近所など自分が知っている人、かかわりがある人のことで、これもまた「パブリック」とは違います。知らない他人、かかわりがない人でもコミュニティの一員であり、それに対して個人一人一人に責任があるという意識です。

この「パブリック」が「官」とちがうのは、「官」というものは市民から税金を徴収しその代わりに各種のサービスを一方的に提供する組織だけれど、「パブリック」というのはそれに属するメンバー一人一人に責任があり、自らがそのコミュニティを円滑に保つための努力をしなければならないというところです。「お上」に任せておけばいいという意識では成り立たないのです。

このパブリックの精神があるかないかで街の景観とか住みやすさとかが違ってくる気がします。それがわかりやすく表れているのがフロントガーデンなのです。

朝の散歩道ルート

毎朝散歩するうちに近所に数ある通りの中でも、特に気に入った通りができてきました。手入れが行き届いた庭やセンスのいい配色で塗られた外観が魅力的な家などが並び、街路樹も植えられているような道など。

そうなると、ちょっと遠回りをしてでもそのルートを通る散歩をするようになり、同行人に文句を言われることもあります。私の場合、花にウィークポイントがあり、藤が咲く季節には家の前の壁に藤を這わせている家がはずせなかったりするのです。

さて、今日はあいにく朝から大雨で散歩はお休み。おかげでこの記事が書けたのでいいとしましょうか。

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