イギリス都市計画法が原因の悲劇:都市計画課長殺人事件

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Crime Scene

イギリスではすべての開発において都市計画許可申請が必要となりますが、その法律に背いて勝手に開発を行うとどういうことになるのでしょうか。実はこういうケースが殺人事件にまで発展したことがあります。許可なしに自宅を建てていた男性に取り壊し命令が出され、それに抗議した男性が都市計画課長を銃殺したというショッキングな事件です。

背景

ことの始まりは、イングランド北部のダーラム州でグリーン・ベルトに指定されていた地域にアルバート・ドライドン(Albert Dryden)という男性が自分で家を建て始めたことです。

鉄鋼工場で働いていたドライドンは1940年生まれ。離婚して1人住まいでした。周りの人の証言によるとかなりエキセントリックな性格だったようです。ドライドンは1984年に職を失い、解雇手当など13,000ポンド(約200万円)を使って土地や資材を購入し、自分で家を建て始めました。

イギリスでは小規模な増改築でも都市計画申請が必要です。何もなかった空き地、しかもグリーンベルトという、厳しい規制がある区域内に新築の建物を建てるというのですから、明らかに法律違反です。

ドライドンは土地に大きな穴を掘ってその中に1階建ての家を建てようとしていました。これなら外からはあまり見えないからいいだろうというのですが、あまり理屈になっていません。彼が工事を始めたことはすぐに地元ダーウェントサイド市地方自治体都市計画課の耳に入りました。

ダーウェントサイド市の都市計画課職員が現地に赴き視察をしてドライドンに都市計画申請が必要であることを何度も忠告しましたが、彼はこれを無視して工事を続けました。その間、都市計画課は何とかしてドライドンに工事を中断させようとして話し合いを試みましたが、功を奏しませんでした。それで1989年に法律上の手続きに踏み切り、都市計画法違反のため工事中止の通達をしました。

取り壊し命令

ドライドンは市の通達に抗議し、1990年に政府環境省(Department of Environment)にアピール(上訴)しました。この件については明らかに違法なので政府環境省もダーウェントサイド市の決定を支持し、工事を中止してすでに立っている建築物を壊すように通達しました。

それでもドライドンは取り壊しをしようとしません。こういう場合、本人が自分で建築物を取り壊さない場合は市が代わりに取り壊し工事をして、その費用を違反者に課する法律があります。これは法律では定められていますが、実際に行われるケースは極めてまれです。

ダーウェント市はドライドンに期限を与え、その期限までに取り壊しを行わない場合は市が取り壊しをするという警告を通達しました。その期限が来てもやはり彼は何もしなかったので、とうとう市がブルドーザーを使って取り壊しをすることになったのです。

事件の日

1991年6月20日ブルドーザーが建物を壊すために現地に入りました。現地には市の都市計画課長(Chief Planning Officer)であるハリー・コリンソン(Harry Collinson)のほか関係者、市会議員やこの様子を報道しようとしていた地元BBCのカメラクルーなどがいました。報道関係者が現地でドライドンにインタビューをしていますが、その時ドライドンは「取り壊しは絶対にさせない」と言っていました。

都市計画課長ほかがドライドンの家の前に向かうと、コリンソンは銃を持ち出しました。ドライドンが銃を出したときコリンソンはカメラクルーに銃を撮影するように言ったといいます。脅しのためであり、まさか発砲するとは思わなかったのでしょう。

けれどもドライドンはかまわず発砲、コリンソンを目の前で撃ち、倒れたところをまた撃ちました。コリンソンと共にいたレポーター、警官、市会議員などは逃げようと走りだしましたが、ドライドンはその集団にも銃を向けました。レポーターが腕を、警察官が背中を撃たれるなど、合計3人がけがを負いました。

その後ドライドンは建物内に立てこもり、敷地のあちこちに地雷を仕掛けていると脅しましたが、しばらくして警察に捕まりました。

のちの調べによると、ドライドンは銃保持のライセンスを持っていませんでした。イギリスでは銃保持は禁止されていて、ライセンスが必要です。彼は建設中の家と自宅に合わせて10のハンドガンと15のライフル、3のショットガン、手作りの爆弾を持っていたといいます。これらはすべて不法に入手したものでした。

殺害された都市計画課長

ドライドンに撃たれて亡くなった都市計画課長コリンソンは46歳で、同市の都市計画課に16年勤務していました。

コリンソンとドライドンははじめは友好的だったということです。コリンソンは家を建てようとしていたドライドンを訪問し、どのような建築物にしたら許可が与えられる可能性があるかなど、アドバイスしていたのです。しかし、ドライドンはコリンソンのアドバイスを無視して穴を深く掘ることで申請を免れようとしました。さらに、次第にエキセントリックな言動で市職員を攻撃するようになりました。

ドライドンが建てた家を取り壊すことが決まった時、市はドライドンが自宅にいる間、夜間にぬきうちで建物を取り壊すことを考えました。しかし、コリンソンはこそこそやるのでなく日中に実施し、市が公正なことをしたと記録するためにもメディアにも報道してもらうべきだと主張しました。それで、取り壊しの日には地元メディアや警察と共にドライドンの家に向かったのです。

事件の後

ドライドンは殺人容疑で起訴され終身刑を言い渡されました。彼は自らの犯罪に対し反省の色をひとかけらも見せなかったということです。

2017年、ドライドンは77歳の時、刑務所で脳梗塞により倒れました。このため刑務所を出所し、老人ホームで暮らしていましたが、2018年9月15日に78歳で亡くなりました。

 

【注意】下記のビデオは暴力的なシーンが含まれています。

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