2020年6月28日のフランス地方選でパリでは現職のアンヌ・イダルゴ市長が再選されました。イダルゴ市長は選挙公約として「車を使わず、日常生活を自転車で15分でアクセスできる街にする」という環境に考慮した都市計画政策を盛り込んでいました。この計画がこれから2024年までを目標に推進されるのですが、どういうものなのでしょうか。
パリが悩む問題
フランスの首都として経済も文化も一極集中の感がある人口200万人都市、パリ。人口が密集するだけでなく、世界中から年間8000万人の観光客が訪れる街でもあり、華やかなイメージの陰で交通渋滞や大気汚染問題も深刻です。パリでは大気汚染のために市民の寿命が6か月間短くなっているという調査結果もあるほどです。
パリには地下鉄、電車、バスなど公共交通機関もありますが、古くからのインフラが老朽化していたり、たびたび行われるストライキによって交通サービスのキャンセルや遅延もあり、自家用車で通勤する人も少なくありません。
今年深刻化した新型コロナウイルス流行により外出禁止となったパリでは交通量が減りましたが、ロックダウンが緩和されると公共交通機関を敬遠する人も出てきて、通勤に車を利用する人が増える懸念もあります。
パリ中心部は家賃も高いため、郊外から通勤する人も多く、パリ中心部に通勤する人の半分以上は通勤に45分以上かけているということです。欧米では通勤に30分以上かかると「長い」と感じるものですが、パリ市民もこれには不満をもらしています。
さらに、頻繁に起こる交通事故、大気汚染による環境破壊、自動車の排気ガスによる大気汚染で健康を害する人も多く、この問題は命にかかわってもきます。
イダルゴ市長の15分シティー政策
2014年からパリ市長を務める左派イダルゴ市長は今回約50%の票を勝ち取り、右派候補とマクロン大統領推薦候補に大差をつけて再選を勝ち取りました。
当選確定の記者会見で市長は「これからパリを市民をにとってさらに住み心地がいいところにしていきます。」と述べました。
イダルゴ市長はパリ市長選挙キャンペーンの公約として15分シティー計画(“ville du quart d’heure”) を掲げていました。車に占領されたパリを人々のもとに戻そうという試みです。
Paris Mayor @Anne_Hidalgo has won re-election running on a progressive platform putting people over cars. A focus of her agenda for her next term will be to turn Paris into a 15-minute city. #citiesforpeople Félicitations Maire Hidalgo! 🇫🇷 https://t.co/z5ra8I3dTu https://t.co/9VZa27FFwz pic.twitter.com/JBVPFVsGmQ
— Jonathan Berk (@berkie1) June 28, 2020
パリはアロンディスマン(arrondissement )と呼ばれる20の行政区に分かれていますが、それぞれの地区に長い伝統に基づいた独自の界隈が存在します。例えば、芸術的な伝統のあるモンマルトル、中世の香りが残るマレ地区、学生街のカルチェ・ラタンなど。
このように多様性がある各地区にはそれぞれ店舗やサービスが集まった中心街の周りをオフィスや住宅が囲んでいることが多く、そのような小さな地区がたくさん集まってパリという都市を形作っているのです。
イダルゴ市長はこのような各地区に必要な機能を備え、すべてのパリ市民が徒歩または自転車で15分でアクセスできるエリア内に食料品店、公園、カフェ、スポーツ施設、医療機関、学校、職場などがそろうようにしたいと語ります。
自家用車保有と道路建設に基づいた自動車優先のパリから、みなが歩いたり自転車に乗ったりして日常の用を足せる街への変容を目指しているのです。
とはいえ、共働きが多いパリなので家族のメンバー全員が職住近接というわけにはいかないかもしれません。それについて市長は「仕事の場所については実現が難しいこともあるでしょう。けれども、いつもみんなが職場にいることが必要でしょうか?働き方を考え直してリモートワークも推進すべきではないでしょうか。」と語っていました。
おりしも今年の春、新型コロナによるロックダウンで在宅勤務については思いがけなく多くの人が経験することになり、一挙に導入が広まりました。
具体的な政策
徒歩と自転車で移動するといっても、パリ市内は自動車がひしめいていてあまり安全な環境とはいえません。イダルゴ市長の提案は車に占領されたスペースを市民のために取り戻すというものです。
具体的には2024年までに6万台分の駐車スペースをなくし、すべての道路に自転車レーンを導入するために3億5千ユーロを計上する計画です。特に交通渋滞がひどいパリ中心地の主要道路は車両進入禁止として歩行者や自転車利用者に開放します。
さらに学校のそばには「子供通り」が作られ、車両通行を制限することで、子供が徒歩や自転車で安全に通学することができるようにします。そして、そのエリアは週末や休み期間には市民に開放されコミュニティスペースとして活用される予定です。
市長は「市民参加予算」を導入し毎年市の予算の5%が市民が提案し投票で支持を得た案に使われるようにしていましたが、この予算を25%に広めるとも約束しています。
パリのサイクリングブーム
パリには以前から「ヴェリヴ」と呼ばれる公共のレンタサイクルがあり、市民や観光客に利用されてきました。とはいえ、ロンドンなどと同様、自動車やバスがひしめく市内では慣れないと自転車に乗るのに安全な心持がしないものです。
コロナによるロックダウン中に自動車の交通量が激減した中、パリには650㎞のポップアップ「コロナサイクルレーン」が導入されました。
また、郊外からパリ市内に自転車で通勤する人のために、750㎞のサイクルルートが整備されました。これまで利用していた地下鉄の利用を躊躇する人のために、3つの主要メトロ路線に沿って自転車専用レーンがつくられたのです。
このほか自転車の駐輪スペースがもうけられ、無料サイクリングレッスンが提供され、自転車修理のために一人50ユーロが支給されるというはからいもあり、パリのサイクリング利用は1年で54%増えました。
El ciclismo en París ha alcanzado tal altura que los autos parecen ahogarse en un mar de bicicletas.
— Dirk Janssen (@dirkjanjanssen) June 13, 2020
市長のアドバイス役モレノ教授
イダルゴ市長に専門家の見地からアドバイスしているのはソルボンヌ大学のカルロス・モレノ教授です。モレノ教授は今や古典となっている、ジェーン・ジェイコブズの「アメリカ大都市の死と生」(The Death and Life of Great American Cities)に触発され、都市の在り方を根本的に変えるべきだと考えたといいます。
都市は郊外に住む人が通勤して仕事をし夜になるとまた家に帰ってしまうようなものではなく、多くの小規模な地区の集まりであるべきだという考えです。それぞれの地区は社会的なネットワークであり、人々の感情と共感がはぐくまれる「アーバン・ユートピア」であり、そこには住む、働く、供給する、世話をする、学ぶ、楽しむといった6つの社会機能が完結する場所となることを目指します。
通勤は市民から時間やコストを奪う、無駄な行動であると考え、都市の在り方を変えてその必要をなくすのがモレノ教授の理想です。
パリだけではないネイバーフッド政策
気候変動問題対策としてパリ協定で掲げられた温室効果ガス排出削減目標を達成するための取り組みが各国で進む中、自動車利用を制限するためにも通勤などのための移動をなるべく減らして住居のある界隈で日常の用が足せるようにしようという試みはほかにも行われています。
オーストラリアのメルボルンでは「20分ネイバーフッド」の開発が行われました。店舗、学校、公園、医療機関などの機能が徒歩、自転車、公共交通機関で20分の所にあるネイバーフッドです。
同じように、米国ポートランドでは「20分ヴィレッジ」(20-Minute Village)が開発されています。この場合、歩いて20分の範囲ですべての機能にアクセスできるのが理想だけれど、それが無理なら自転車、公共交通機関、場合によっては自動車を使うことも考慮していいのではないかという考えています。
カナダのオタワでは、「15分ネイバーフッド」として、中規模の暮らしやすい街として開発することを目標にしています。といっても、市の規模を小さくするのではなく市の全体人口を今の2~3倍にする25年計画です。
そのために都市が際限なく広がるアーバンスプロールではなく、生活拠点となるハブエリアをいくつも作る手法に沿って都市計画を立てているのです。それぞれのハブに学校、食料品店、公共交通機関、公園や図書館を人々が住居から歩いて15分でアクセスできるようにするという考えです。
遠い郊外に住んで車で毎日市の中心街に通勤し、夕方になるとまた家に帰るといった生活ではなく、古くからあるヨーロッパなどの歴史的な街で人々がずっと営み続けていたライフスタイルです。
パリの界隈
交通渋滞には閉口しますが、パリの魅力にはあらがえず何度も足を運んでいます。もはや観光名所と呼ばれるようなところには行かず、中心地から少し離れた、細い路地がたくさんあるボヘミアン風の界隈、公園に遊びに行く子供連れを多く見る界隈などそれぞれ特色のある地区を歩くのが楽しみです。
そういう界隈の中心地にはパン屋、カフェ、レストラン、花屋などが立ち並び、毎日のようにそこに通っているだろう近所の人が買い物したり、テラスでコーヒーを飲みながら道行く知り合いに声をかけたりしているのを見かけます。これは、イタリアやスペインのカフェやバルでも目にする風景で、そういう人たちはもしかしたらその人生のほとんどをその小さな界隈で過ごしているのかもしれません。
私の界隈あなたの界隈
東京などでは郊外に住み毎日高層ビルの立ち並ぶオフィス街に長い時間かけて通勤し、帰宅すると食べて寝るだけという人も多いでしょう。今回のコロナによる外出自粛と在宅勤務で、久しぶりに家の近所にある商店街や公園に行ったという人もいるかもしれませんね。「おや、こんなところにこんな店があったのか」とか、近所の庭の見事な桜などを「発見」をした人もいるのでは。
かくいう私も昔フルタイムで働いていた時、職住接近のために職場から自転車で10分の場所に住んでいたのですが、途中で引っ越さざるを得なくなり片道1時間を自動車通勤していました。フレキシブルワーク制度を利用して週4日勤務、そのうち1日は自宅勤務にしてもらったもののそれでも週3日の通勤も苦痛でした。
今はフリーランスでずっと在宅勤務ですが、住宅地に住んでいてタウンセンターから少し遠いため、買い物やジム、子供の送り迎えなどほんの数キロの距離に車を使っていました。
けれども、コロナロックダウン中に保険が切れたのをきっかけに車に乗るのをやめ、毎日公園などに散歩に行ったり、買い物にも歩いて行ったりし始めました。タウンセンターまでは歩いて30分近くかかるのですが、一日中デスクワークなので運動にちょうどいいようです。おかげで冬の間に増えていた体重も元通りに戻り、心身ともに健康です。
毎日のように自宅付近の界隈を歩いて「この通りは素敵な家が多くてお気に入り」とか「あの家の藤はそろそろ咲いただろうか」はたまた「いつも会う犬の散歩のカップル、今日はおばさんだけだけどおじさんは寝坊かな」とか行き交う人に微笑みをかわしながら歩くのはしみじみと楽しいものです。
みんながそれぞれの界隈で生活し、働き、安らぐことができるようになったら人々の心身の健康にもいいし、環境への負荷も少なくなります。そういうところでは顔見知りが多いので悪いことはできず、ごみのポイ捨てや犬のふんの不始末、犯罪や非社会的行動も減るのではないでしょうか。
実はこういう生活の在り方って1961年にジェーン・ジェイコブズが昔をなつかしんで言ったのと同じなんですよね。思えば、車中心の街づくりを始めてから一周回って100年前の生活に戻るということなのでしょうか。
ところで、あなたの「界隈」はどんなところですか、そしてそれは15分で行けるところですか?
そうでないとしたらあなたはどんな界隈に住みたいですか?