近年、世界各地で猛暑、洪水、山火事、巨大台風といった極端な気象が相次いでいます。もはや「異常」ではなく、「新しい日常」になりつつあると感じている方も多いのではないでしょうか。こうした現実を背景に、英紙『ガーディアン』(The Guardian)は2025年末、「気候危機への適応には、極端な気象についての政治的誠実さが求められる」という社説を掲載しました。
「政治的誠実さ (political honesty)」とは?
この記事が訴えているのは、単なる環境保護の重要性ではありません。政治が、気候危機の現実をどれだけ正直に語っているかという、より根源的な問いです。
ガーディアンが批判するのは、異常気象を「想定外」とか「不運な自然災害」として片付ける政治の姿勢です。科学的には、温暖化が異常気象を激化させていることは、すでに多くの研究で示されています。それにもかかわらず、政治がその因果関係を曖昧にしたままでは、根本的な対策は立てられません。
ガーディアンがいう「政治的誠実さ」とは、
- 異常気象は偶然ではなく、気候変動の結果であると認めること
- 今後さらに被害が拡大する可能性を、国民に正直に伝えること
- 不都合でも、回避できない現実を隠さないこと
希望を語る前に、まず現実を直視する。それが政治の責任だ、という強い主張です。
「解決(mitigation)」だけでは足りない―「適応(adaptation)」の重要性
気候変動対策というと、多くの場合「温室効果ガス削減」が中心に語られます。もちろん、排出削減は不可欠です。
しかしガーディアンは、それだけでは不十分だと指摘します。なぜなら、たとえ今すぐ排出を減らしても、すでに進行している温暖化の影響は、これからも続くからです。
- 洪水が前提となる都市設計
- 熱波に耐えられる住宅や労働環境
- 森林火災や干ばつを見据えた土地利用
こうした適応策への本気の投資がなければ、被害は避けられません。
「何とか元に戻す」のではなく、変わってしまった気候に合わせて社会を作り直す必要があるーそれが社説の重要なメッセージです。
気候変動は不平等と人権の問題でもある
ガーディアンが特に強調するのが、国際的不平等の問題です。気候変動による深刻な被害を受けているのは、歴史的に排出量の少ない国や経済的に脆弱な地域である場合がほとんどです。
洪水や干ばつで住む場所を失い、移動や生活再建を迫られる人々は、最も責任の少ない立場にあります。それにもかかわらず、適応のための資金や支援は十分とは言えません。
気候変動は、生存権、住居の権利、安全に暮らす権利と直結する人権問題でもあります。ガーディアンは、富裕国がその責任から逃げることを「不誠実」だと断じています。
日本の政治やメディアは?
日本でも猛暑や豪雨が常態化していますが、政治や大手メディアの言葉は、「自然災害」「復旧・復興」にとどまりがちです。気候変動との関係や、「この先、同じ生活が維持できない可能性」について、正面から語られることは多くありません。
一方、英国では、ガーディアンのような一般紙の社説が明確に政府を批判し、国民に厳しい現実を突きつけることが、民主主義の一部として受け入れられています。ガーディアンの論調は、単に「不安をあおる」のではなく、「選択のために真実を示す」という姿勢に基づいています。政治的誠実さとは、希望を否定することではありません。むしろ、現実を正確に共有することで、初めて意味のある選択が可能になります。それは、絶望ではなく出発点ともいえるでしょう。
気候変動は、もはや「防げば終わる問題」ではありません。どう生き延び、どう不公平を減らすかが問われています。ガーディアンの社説は、その厳しい問いを、政治と私たち一人ひとりに投げかけています。日本でも、この「正直さ」から議論を始める時期に来ているのではないでしょうか。
私たちにできることは何か
ここまで読むと、「結局、個人にできることは限られているのではないか」と感じた方もいるかもしれません。ガーディアンが示しているのは、すべてを個人の努力に押し付ける発想そのものが誠実ではないという点です。そのうえで、私たちにできることはあります。
たとえば、猛暑や豪雨を「想定外」で終わらせず、気候変動の結果として受け止めること。また、政治の言葉に正直さを求め、排出削減だけでなく、すでに起きる被害にどう備えるのかにも目を向けること。そして気候危機を、不平等や人権の問題として考えること。
完璧な答えを持つ必要はありませんが、現実から目をそらさず、考え続け、語り続ける姿勢そのものが、気候危機の時代における最も基本的な行動なのだと思います。



