前回、広島に住む姪が、新築ではなく中古住宅を購入し、自分たちの暮らしに合わせてリノベーションするという選択をした話を書きました。これは、個人のライフスタイルの話であると同時に、日本の住宅や都市のあり方が、静かに転換点を迎えていることを象徴しているようにも感じます。そのことを考えると、以前私がロンドン視察のサポートをした、ある「リノベーション会社社長」の姿を思い出します。
彼は、もともと大手ゼネコンに勤め、いわゆる「地上げ」を担当していました。立ち退きを進め、新しい建物を建てる。立ち退く人には補償金や新しい住まいが提供され、街は整備され、見た目もきれいになる。当時の彼は、「誰にとっても良い仕事をしている」と信じていたそうです。
ところが、ある現場で出会った一人の高齢の女性が、彼の価値観を根底から揺さぶります。その女性は、亡くなったご主人との思い出が詰まった家を「どうしても売りたくない」と、立ち退きを拒んでいました。交渉は長く続きましたが、最終的に彼は説得に成功します。
すべてが終わった後、新しく建ったマンションの前で、その女性は彼にこう言ったそうです。
「私は、あなたに人生を奪われました」
涙ながらにそう告げられたとき、彼は大きな衝撃を受けました。
新しい建物をつくることは、本当に人を幸せにしているのだろうか。「街をきれいにする」ことと、「人の暮らしや人生を大切にする」ことは、必ずしも同じではないのではないか。
この出来事をきっかけに、彼はゼネコンを辞め、しばらく海外を放浪します。そこで目にしたのが、古い住宅や建物を、自分なりに手を入れながら長く使い続ける文化でした。新しいから価値があるのではない。そこに積み重ねられた時間や記憶を含めて、住まいを楽しむ。その姿が、彼の中でひとつの答えになっていきます。
帰国後、彼はリノベーション事業を立ち上げました。当時の日本ではまだ珍しかった「中古住宅を前提に、暮らしを再編集する」という考え方を軸に、住宅業界が抱えてきた課題を価値に変える取り組みを続けてきました。
ロンドンを訪れた際、彼は、何百年も前の建物が修復されながら使われ続け、街並みとしても人々の生活としても機能している様子に、強い関心を示していました。それは「特別な保存地区」として切り取られた存在ではなく、日常の都市空間として息づいていること、そして古い建物を博物館的に凍結保存するのではなく、現代のライフスタイルや用途に合わせて更新しながら、新しい建築物と共存させている点でした。
広島の姪が選んだ中古住宅も、規模や立場はまったく違いますが、根底にある考え方は共通しています。
「新しく建てること」よりも、「今あるものをどう活かし、どう暮らすか」。
そこには、コストや合理性だけでなく、人生や時間に対するまなざしがあります。
こうした動きは、決して都市部や一部の先進的な企業だけの話ではありません。実は、私の実家がある地方の小さな町でも、今年になって変化の兆しを感じています。この山口県の田舎町では、高齢化が進むなかで、空き家や空き地が増え続けてきました。「いずれは壊されるのだろう」と思われていた家が、そのまま手つかずで残っている。または、いつの間にか取り壊されて更地になっている。そんな光景が珍しくありませんでした。
ところが今年になって、空き家となった住宅を買い取り、リノベーション工事を施したうえで再び市場に出す会社が現れました。実家のすぐ近所にある中古住宅も、現在その会社によって改修工事が進められています。まだ小さな動きではありますが、使われなくなった家を「負の遺産」として放置するのではなく、「次の暮らしにつなぐストック」として捉え直す発想が、地方にも広がり始めているように感じます。
日本の住宅市場は、長らく新築供給を前提に成り立ってきました。しかし、人口減少と住宅ストックの過剰が同時に進む現在、その前提そのものが揺らぎ始めています。求められているのは、量を増やすことではなく、すでにある住宅をいかに維持し、更新し、次の担い手へと引き継いでいくかという視点でしょう。
個人の住まい選びや、民間企業の取り組み、そして地方で起きつつある小さな変化は、いずれもその方向性を示唆しています。住宅を建て替え続けることを前提とした仕組みは、人口減少と資源制約の時代において、持続可能とは言えません。環境負荷、地域の空洞化、世代間の負担。こうした課題は、住宅をどう扱ってきたかに関連しています。
住宅を短命な商品として扱う社会から、時間をかけて価値を重ねていくストックとして捉える社会へ。今、各地で見られる中古住宅の再生やリノベーションの動きは、住宅を「使い切るもの」から「循環させるもの」へと捉え直す兆しです。住まいを長く使い、地域に根づかせることは、結果として社会やコミュニティの持続性を高めることにもつながります。
これから問われるのは、新しい住宅をどれだけ供給できるかではなく、すでに存在する住まいと、どう向き合い、どう未来へ手渡していくかという姿勢です。住まいを起点に、地域、暮らし、そして都市のあり方を見直すこと。日本の住宅と都市は今、量の拡大から質の成熟へと向かう、大きな転換期に差しかかっているのではないでしょうか。



