日本に一時帰国中、仕事がてらお手伝いしている地域を含め、さまざまな所に足を延ばしています。今回は主に九州地方のいくつかの街を訪問しました。おとといは長崎、昨日は佐賀県鹿島市の肥前浜を訪れました。佐賀は鍋島藩があったところで、その名前を付けた銘酒もあり、町のあちこちに自分の苗字がポスターやのれんに載っているのはちょっと不思議な感じ。それはさておき。
伝建(でんけん)と重伝建(じゅうでんけん)
肥前浜には歴史的な街並みが良く残っていて、二つの地区が「重要伝統的建造物群保存地区」として指定されています。この制度を知らない方に簡単に説明すると、歴史的な建造物を単体ではなく、周囲の環境とともに群れとして保護しようとするもので、1975年(昭和50年)にできた制度。自治体主導で決められる「伝統的建造物群保存地区」の中でも特に価値が高いものを国が「重要伝統的建造物群保存地区」として選定しています。この二つ、名前が長くて覚えにくいので、前者を「伝建(でんけん)」後者を「重伝建(じゅうでんけん)」と略して呼ぶこともあります。2021年時点で重伝建は日本全国104市町村に126地区あるということですが、その二つが肥前浜にあるのです。浜川をはさんで歩いて行ける距離にあるこの二つの地区は、それぞれ特徴ある歴史的町並みが残っています。
参考:「伝統的建造物群保存地区」
浜中町八本木宿(はまなかまちはちほんぎしゅく)
肥前浜は有明海をのぞむ浜川河口の街ですが、江戸時代は長崎街道の脇街道である多良街道の宿場町として栄えました。浜川の良質な水と佐賀平野の米に恵まれ、江戸から昭和初期にかけて酒造りが代表的な産業になり発展。現在もなお銘酒を作り続ける酒蔵がいくつも残っています。
旧多良街道は通称「酒蔵通り」と呼ばれ、この通りには、大きな酒造場や醤油増醸造、レンガ造りの煙突が立ち並んでいます。明治、大正から残っている土蔵造りの建物は漆喰の大壁、なまこ壁や鉄扉、豪奢な飾りなど、歴史的な建造物が目をひきます。そのほか、町屋、武家屋敷、郵便局だったという洋風建築も交え、多彩な建物が落ち着いた町並みを形成しています。
浜圧津町浜金屋町(はましょうづまちはまかなやまち)
酒蔵通りから浜川をはさんで右岸に拡がる地区は、細い路地ぞいに小さな家が密集した、庶民的な港町といった風情。浜圧津町は江戸時代から商人や船乗りが暮らし、浜金屋町には鍛冶屋や大工などの職人が住んでいたということです。車がやっと通れる道路から人ひとり歩くのがやっとの細い路地が出ていて、その両側に小さな民家がところせましに立ち並びます。
細い路地ぞいに建つのは茅葺きや瓦葺きの小規模な民家。このような集落に茅葺屋根の町家が立ち並ぶ景観は珍しいといえます。茅葺というと白川郷など、山間の農村集落に多いのですが、このような町家ではあまり見られません。とはいえ、かつては茅葺だったものが今ではトタン屋根に変わっている家も多く見られます。茅葺きは維持が大変なので、こうなってしまうのでしょう。
東京からの移住者
その中でも、まだ茅葺の屋根を残している、古い家に住んでいる人にお会いして、お話を聞きました。この方はもともとは東京出身で、全国を旅して回るうちにここに一目ぼれして家を購入し移住に至った経歴をお持ちです。この地区の歴史的な街並みを維持するために努力を惜しまず、購入した古い家の修復を続けています。鹿島市の協力のもと、自宅の維持修理を続け、景観を守るために通りに面する表側には郵便ポストも置かないそうです。
自宅にもこの地区にも誇りと愛着を持ってらっしゃるのがよくわかります。家の前側の土間となっている部分を開放してらして、100年以上家を支えている黒光りのする柱などを見せてくださいました。
茅葺屋根の吹替
茅葺屋根の維持について質問をすると、最近茅の一部が老朽化し、屋根が雨漏りし始めたという話になりました。「こちらを見てください」と家の裏庭に案内され、その部分を教えてもらいました。見ると、後ろの角の部分の茅が黒っぽくなっています。そこから雨が漏るのだそうです。
囲炉裏でいぶすことで茅が長持ちすると言われていますが、民家が密集している地区にある建物ではそれもままならず、10年に1回は吹替が必要だそうです。前回から10年経っているので、吹替をしようとしたけれど、この地域では茅葺職人が不足していて、待たなければならない状態。けれども、来年はそれができそうだということ。「重伝建」の重要な要素である歴史的建造物の茅葺き費用には公的補助も出ます。
この地区は木造住宅密集地であることから、歴史的景観の維持修復だけでなく、防災設備の設置などについても、官民一体で取り組んでいます。町のあちこちに防災防火のための設備があるのがそれを物語っています。このような地区で茅葺屋根を維持したり、よみがえらせるためには相当の努力が必要なのでしょう。
幸い、市役所の担当者も地区の人も親切で、日本全国訪ね歩いた後で選んだ家の住み心地は良かったということです。この方はわざわざここを選んで住み着いたわけですし、比較的若くて、経済的な余裕もおありだと察しますが、地元の住民の多くは高齢者です。若者の多くは外に出てしまい、残された住民が高齢化して亡くなったあとの跡取り問題もあると、心配そうに話してらっしゃいました。
ここではこの方のように移住を検討する人のために、お試し移住の制度も用意されています。お魚がおいしく、気候が温暖な九州佐賀に移り住みたい人は試してみてもいいかも?
世界遺産や記念物など、博物館としての歴史的建造物もありますが、「伝健」に指定される歴史的町並みはそこに人々が住み、活用され、生活文化がはぐくまれ、住民に維持管理されるからこそ価値があります。そこに居住する人々が地区の歴史的価値や個性に魅力を感じ、誇りや愛着を抱かないことには、守ることができない景観といえます。
イギリスにも都市計画に組み込まれたConservation Area(保存地区)と呼ばれる、似たような制度があり、さまざまな性格と規模の地域が国中で指定されています。その地区内での開発は厳しく制限され、指定区域内の樹木も原則として全て保護されています。古いものに価値を置く人が多いイギリスの場合、それらの地域は特別な価値を持ち、そのような所に住みたがる人も多いため、不動産価格も高い傾向にあります。
ディスカヴァー・ジャパン
京都や奈良、鎌倉、萩、倉敷、高山や白川郷などの歴史的な街並みは有名なので、行ったことがあるという人も多いでしょう。が、日本にはそれ以外にも、肥前浜のように、あまり知名度はないものの、歴史的な街並みが残っているところがたくさんあります。開発に取り残されたがゆえにそうなっているところも多いため、アクセスが難しいところが多いのですが、そのような地域を帰国のおりに訪ねてみたいと思います。あなたの近くにおすすめの街並みがあったら、教えてください。
肥前浜に行く前も長崎にも行ったのですが、ここも好きな街です。県庁所在地もある都市ですが、塀や部分がせまく、海に向かって急な坂がせまり、その坂に家が立ち並ぶ風景が好きなのです。尾道もそうですね。
イギリスでもコーンウォールやヨークシャーなどにこのような港町や漁村があります。
そういうところで坂になったくねくねした路地を上っていくと、なぜかかならず猫がのんびり寝そべっているのはなぜなのでしょうか?