前回の記事では、「日本では気候変動についての関心が低い」という仮説が本当なのかどうかを国際調査におけるデータをもとに検証しました。その結果、やはりそうであるというエヴィデンスが出ていました。それでは、日本で気候変動問題への関心を高めるためにはどうしたらいいのか、その方法を模索していきます。
気候変動意識調査
前回の記事では、「日本では気候変動についての関心が低い」という仮説を国際的な意識調査のデータに基づいて検証しました。
https://globalpea.com/pew-survey
これまで日本でのメディア報道や政治家・ビジネス界、一般人の言動を外から見ていて感じていたことを裏付けるものですが、外国と比べてみるとやはりその差が歴然としています。
日本では気候変動による何らかの影響が自分に及ぶことを心配している人がかなり多いのにもかかわらず、「とても心配している」人は少数派で、しかもその割合が過去6年間で減少している唯一の国です。
さらに顕著なのは、気候変動の解決のために生活スタイルの上で何かを変えようと思う人の割合が他の国に比べ低いことです。
この背景には気候変動問題対策が国の経済に悪い影響を与え、自分自身もコストを負担しなくてはならなくなると考える人の割合が多いということもあるのかもしれません。
一言でまとめると「気候変動については少し関心があるし、心配しないこともないけれど、それほど自分の身にせまった重大問題ではないし、だいいちそのために面倒くさいことをしたり、お金や時間などのコストがかかることをするのはいやだ」というところでしょうか。
日本で気候変動に関心が低いのはなぜか
前述の記事では、気候変動問題への関心について国際的に比較したものをみましたが、さらに詳しく日本での実情を見てみましょう。
下記は内閣府が行った「脱炭素社会の実現に向けた取組」に関する調査結果です。
「脱炭素社会」の実現に向け、一人一人が二酸化炭素などの排出を減らす取組について、「取り組みたくない」と答えた理由を複数回答で聞いています。
この結果を見ると「行動が難しい」や「経済的なコストや手間がかかる」というのもあることながら、「効果がわからない」「情報が不足している」という理由がさらに多いことがわかります。
日本では気候変動に関する情報が一般人にわかりやすい方法で提供されることが少ないのかもしれません。さらに、学校や家庭、職場、友人との交流の場などで気候変動問題について学習したり、話題に上がるといったようなことも、比較的少ないということもあるようです。
どうしてそうなのでしょうか。
気候変動コミュニケーション
イギリスでは日本に比べると気候変動問題に関する一般国民の関心は高いのですが、いつもそうだったわけではなく、長い年月を経てだんだんとそうなってきた歴史があります。
イギリスの環境活動家ジョージ・マーシャルは環境問題に関するコミュニケーションのスペシャリストとして30年間活動してきた経験をもとに’Don’t Even Think About It: Why Our Brains Are Wired to Ignore Climate Change’ (日本語未訳)という本を出していますが、この本で実際に活動してきた個人的な体験をもとに、その困難さと理由、解決方法について示唆深い考察をしています。
マーシャルは環境問題について啓蒙活動を行ううちに様々な困難に直面し、どうして人は多くの科学者が警鐘を鳴らしている問題について本気で考えようとしないのかを探るために、認知学と経済行動学のノーベル賞学者であるダニエル・カーネマンに会いに行きます。
カーネマンはマーシャルに気候変動問題というものは人間を行動に駆り立てるための障害として、3つの難しい局面を持っているというのです。それは緊急性、確実性、損失であり、彼によると、気候変動問題というものは、この障害のコンビネーションとしては、考え得る限り最悪のものだといいます。
「遠い将来の不確かな損失を避けるために、今犠牲を必要とする」からです。
遠い将来と言うのは、今すぐ目の前で火事が起こっているとか言うわけではなく、いつかわからない未来に起きる問題だと考えるため、不要不急の課題ではないと考えがちだということ。
不確かというのは、テロリストとか戦争を仕掛けてくる敵国、または襲ってくる野獣というような明らかな敵が存在せず、しかもその敵の目的がわからないということです。気候変動にとっての敵というのは自分たち自身の行動だったりするし、それは被害を起こそうという意思があってなされているものではないからです。
損失というのは、気候変動問題を解決するためには自らが何らかのコストを負担しなければならない意識があるということです。
コストというのは様々な形をとります。再生エネルギーを開発するために余計に資金がかかるため、それを自分も含む皆が支払わなければならないという金銭的なコストもあれば、手間や時間がかかったりするというコストでもあります。
このような3つの障壁があるため、気候変動の話となると多くの人は難しく考えてしまいます。このため、自分にとって都合のいい情報ばかりを無意識的に集め、不都合な情報は見ようとしない、確証バイアスに陥りやすいのです。
マーシャルは気候変動問題についてどのように人を説得したらいいのか、カーネマンにヒントを得ようとしたのですが、彼から得たものは「大変残念ですが、これは非常に難しい課題です。がんばってください。」という同情と固い握手だったということです。
それにもめげず、その後もずっと気候変動問題について人々に伝えていく活動を続けていったマーシャルは自らの体験から得た教訓について教えてくれます。
たとえば、気候変動について語る時に大切なことは、この問題が遠い世界の果てで起こっているとか、はるか未来に起きる事象だというように説明しないことです。地球温暖化の話になると、なぜかみな北極クマの写真を出してくるが、それでは聞き手にとって現実的な問題としてとらえてもらえないというのです。そうではなく、相手が自分ごととして考えられるようなナラティヴが必要です。
それには、いくら正確で必要な情報とはいえ、科学者が詳細な数字や難しい専門用語を並べ立ててデータを論理だてて説明するのではなく、一般民に理解しやすく、感情に訴えるストーリーを語るほうが効果的です。科学者や活動家が自分の経験にもとづいた個人的なストーリーを語るのも有効です。
マーシャルは科学者や専門家に、自分たちの研究分野や専門領域の話だけでなく、その人たちの個人的なストーリーを伝えるように奨励しています。たとえば、どのようにして気候変動問題について関心を深めていったのか、今の活動をするようになった情熱はどこから来ているのか、なぜこの問題を解決することが重要だと考えるのかなど。そのような、個人個人の具体的な話こそが人の心に響き、語り手への信頼心を深め、問題への興味を呼び起こしてくれるのです。
さらに彼は聞き手の関心や傾向に合わせたコミュニケーションが大事だと説きます。気候変動に関心がなかったり、懐疑的だったりする人にも様々なグループがあり、その理由もまちまちです。聞き手に関心のないことをいくら並べても馬耳東風になりがち。それよりも、その人にとって何が大切なのか、どんなものを守り、何を失いたくないと考えているのかを把握して、それに沿った説得方法を考えることで、より耳を傾けてもらえるのです。
たとえば、保守的で家庭を大切にする人なら、その人の孫の未来や国土の保全について、ビジネスマンには再エネの経済的有利性やESG投資について、リベラル派には気候正義について語るといったふうに。
過半数を説得しなくてもいい
とはいえ、そのようにして問題に興味を持ってくれる人を増やそうとしても、すべての人はおろか、半数を説得することも難しいという壁の前に落胆してしまうこともあるでしょう。そんな時に思い出したいのが「社会に変革を起こすために必要なのは、過半数ではなく25%」というルールです。
これは、米国ペンシルヴァニア大学のデイモン・セントラ博士が研究結果をもとに提唱しているもので、社会的な変化を起こすためには所属人員の25%が新しい考え方を支持すればいいというものです。
社会全体を変えるためには、半分以上を説得しなければならないと思いがちですが、1/4が意見を変えて積極的に活動し、システムを変えることで、残りの人たちも新しい考えに従うというのです。この転換点(ティッピング・ポイント)に到達するまでは運動が難しく見えるのですが、たった一人加わってそれを超えるだけで、またたくまに運動が成功するということです。
気候変動のような問題について、懐疑派や無関心層を含め過半数を説得するのは無理なようでも、25%なら何とかなるような気がしませんか。
これまでも、古くは奴隷制廃止、参政権、人種差別廃止、男女平等、シートベルト着用義務、最近ではBLM運動やMeToo、死刑廃止や室内禁煙など、実現するまでは不可能に思えていたような変化でも、社会の1/4程度の人たちが支持を表明したり、声を上げたりし始めたことで大きな変革が起きてきました。
たとえば、欧米諸国で次々に進んだ死刑制度廃止や室内禁煙禁止についても、法律化/制度化される前は反対する人も半数以上いたのです。けれども賛成派が25%以上を占め、法律や制度を変えることで反対派もそれに従い、システム自体が変わっていきました。残りの人が頑固に反対さえしなければ運動は成功するのです。法律や制度ができてしまえばこちらのものです。
気候変動問題のような「障壁3点セット」運動についても、無関心層まで説得させることは難しいといえますが、どちらにしても個人ができる行動(レジ袋をもらわない、節電するなど)は限定的です。それよりも、政府が石炭火力を廃止し、再生エネルギー開発に投資するとか、自動車産業界がガソリン車から電気自動車に舵を切るとかなど、社会システムの変革がカギとなります。
もちろん、個人の行動は周りや社会に対する意見表明としての役割はあり、そうすることによって社会に影響を与えることは重要ですが、自分だけで自己満足していても何も変わりません。
25%の転換点を目指して周りに働きかけ、社会変革を起こすことを目標にしましょう。
気候変動意識を高めるための前向きな提案
最後になりますが、気候変動対策についてはデメリットよりもメリットを強調することが重要ということも挙げておきます。
いくら環境にいいからといっても、よけいな費用がかかるとか不便になるというコストばかりを取り上げられると、負担意識が心のブレーキをかけてしまいがちです。本当にこの問題について真剣に考えている少数の人にとっては不便を受け入れ我慢をすることで満足感や達成感を得られるかもしれませんが、ほとんどの人には通用しません。
多くの一般日本人にとって、「問題解決のために我慢しなければ」とストイックな方向に向かわせるよりは、それによって得られる利益や幸福感について伝えたり、ポジティヴな提案をしたりするほうが積極的な取り組みにつながるのではないでしょうか。
たとえば、再生可能エネルギー開発によって新たな産業や雇用を創出、リサイクルを通して低コスト化を実現、都会で長時間労働、長距離勤務をするより田舎で自然と共生する暮らし、大量消費の結果ごみをたくさん出すのでなく、本当に必要ないいものを長く使い続けるライフスタイルなどについて語るのです。
さらに、個々の行動を変えるだけでなく、もっと大きな政策・システム変容を起こすために政治家や企業、組織に働きかける呼びかけや運動についても同様です。デモや座り込み、インターネット発信などで訴えることも効果的ですが、どうせなら仲間と一緒に楽しみながら運動をする、さらには友人を作るために運動を手がけたり参加するという行動があってもいいでしょう。
スウェーデンの若き環境活動家、グレタ・トゥーンベリは独りぼっちで学校ストライキを始めました。けれどもその運動に賛同する仲間の輪が広がって今では世界中の同志とインターネットでコミュニケーションをしています。
学校では友達がいなかったグレタですが、COPなどの環境イヴェントで活動家仲間とデモをしている様子は実に楽しそうです。それは、気候変動問題について知ったショックで精神的に病んで、しゃべることも食べることもできなくなったという子供時代の話や「政治家は口先だけで何もしない」とトランプ大統領をにらんでいた顔と対照的です。
グレタに限らず、気候変動という地球規模の問題解決のために、世界中の仲間と共に力を合わせてたたかうというポジティヴな行動をとることで得られるものは多くあるでしょう。それぞれの出自や背景が異なっていても、気候正義や格差の問題など解決すべき問題をみなで共有していることへの理解、具体的な解決策を模索し学びあう経験、国際的な視野など。
世界中に同志を持つことができるだけでなく、気候変動問題を通じて広く他の分野や人生における重要な学びや経験を身に着ける機会をも得ることができるのです。これは誰にでもあてはまることですが、若い人たちにとっては特に重要な経験となるにちがいありません。