先日、英バッキンガムシャーのある街でおこなわれた地方選挙結果が大きな話題になりました。保守党が盤石な地域で圧倒的に有利だと思われていたのに、野党の自由民主党候補が勝ったからです。その背景には保守党が導入しようとしている都市計画改革案があると言われています。
バッキンガムシャーの地方補欠選
この選挙区はChesham and Amershamというところで、保守党の現職議員が病死したため、地方補欠選が行われました。バッキンガムシャーというと、ロンドンの北にある、緑豊かな田園地帯で、伝統的に保守党支持が多い地域です。この地方選も保守党勝利になると思われていたのですが、ふたを開けてみるとLib Dems(自由民主党)が勝って、イギリス中を驚かせました。自由民主党候補の得票は21,517票と、2位保守党候補の13,489票を約8,000票も上回る結果でした。
その背景についてさまざまな説明がありましたが、HS2高速鉄道建設が進められていることと、保守党政府の都市計画法改定案についての反対が大きく影響したようです。高速鉄道建設についてはすでにルート設定も終わり建設工事が始まっているので、これを覆すのはもう遅い段階と言えますが、都市計画改定のほうは今年の秋に国会で審議される予定なので大きな争点となりました。
争点は都市計画法改案
自由民主党候補の選挙キャンペーンは都市計画法改案について大きく取り上げ、この改革案を通したら現在の都市計画規制が緩和され、この選挙区にあるあるチルターン丘陵をはじめとする田園地帯で住宅などの開発が進んだり、地元住民の意見が反映されなくなったりすると警告しました。
この都市計画法改案については、労働党など野党各党や自然保護団体、都市計画協会、建築家協会、地方自治体協会など多くの関係団体が反対しています。それだけでなく、与党保守党内からも反対意見が出ていて、メイ元首相など影響のある政治家も懸念の声を上げているのです。自由民主党の選挙キャンペーンにはメイ元首相の写真まで載せ、保守党議員からも反対の声が上がっているほど問題のある改革だと説明しています。
ジョンソン政権の都市計画法改案とは
ジョンソン政権はどのような改案を予定しているのでしょうか。また、反対意見の多い改訂をしようとする理由は何なのでしょうか。
それにはまず、イギリスの都市計画法がどのようなものかを知る必要があります。一言でいうと、イギリスでは土地の開発権は所有権と関係なく国(=国民、市民)に所属するというのが原則となっています。
イギリス中のどんな土地でも開発(新築だけでなく改築・増築、使用目的改変も)する場合には、いちいち都市計画許可申請をする必要があり、許可がおりないと開発できません。都市計画許可は条件付きでおりることがほとんどで、開発者はその条件を厳密に守る法的義務もあります。
政府の都市計画改定案はこの原則を変更しようというものです。すなはち、国土を「開発促進地域」と「開発抑制地域」に分け、前者では一定条件に合えば、自動的に開発許可が与えられる仕組みにしようというのです。
このような制度は多くの国でとられていて、日本でも「市街化区域」と「市街化調整区域」の制度がありますが、それに似たようなものと言ってもいいでしょう。
都市計画法改案の理由は
この背景には、イギリスの現状の都市計画制度が厳し過ぎて、開発業者が希望通りの開発をするのが難しかったり、時間がかかりすぎると主張していることがあります。保守党政権は新自由主義のもと、経済発展を促し不動産開発もどんどん推進したいという方針なので、あまりに厳格な都市計画規制を「改正」する必要があると考えているのです。
住宅1軒を建てるのにいちいち都市計画申請をしなければならないことで、近隣住民から反対されたり、地方自治体から厳しく条件を付けられたり、申請プロセスにひどく時間がかかったり、あげくのはてに開発許可がもらえないことがあるようでは、自由な開発・不動産市場プロセスが機能しないので、規制緩和が必要だという考えです。
昨今、ロンドンやその周辺の地域では、住宅価格高騰のために若者や低所得者層が住める住居が不足していて、もっと住宅供給を促したいということも多く語られます。現政権は、住宅が不足している理由には厳格な都市計画制度があるというのですが、これは実は事実とは異なります。
実際には都市計画許可がすでに与えられているのに建設が始まっていない開発計画がたくさんあるのです。これはディヴェロパーが開発利益を最大限にするために、市場価格がピークの時に売却をしたいので、様子見をしている開発候補地がプールされているからです。
実際に、都市計画申請された案件の9割以上は許可されており、許可がおりない申請は少数となっています。それも、各自治体が住民と協議した上で定めているそれぞれの地域のマスタープランに合致していない申請のために不許可となるのです。
ジョンソン政権が導入しようとする「開発促進地域」制度が実現した場合、その地域内であらかじめ決められた条件に合ってさえいれば自動的に開発が許可されるということで、これまでのように、どんな都市計画申請についても地元民が意見を言うことができる権利が失われます。さらに、市民を代表する市会議員が構成する都市計画委員会で開発の許可、不許可を決める民主的なプロセスもなくなります。
自由民主党の選挙キャンペーン
このような都市計画改革を通してしまうと、地元の自然あふれる環境やこれまで保護してきた景観が損なわれる可能性があるということで、Chesham and Amershamの住民は保守党ではなく、自由民主党候補に票を投じたのです。
補欠選挙ということで、たった一つの街で表された民意ですが、この選挙結果は政府の都市計画改革案について見直しを促すことにつながっています。というのも、保守党議員の中にも自分たちの地元住民の声を受けて、この改革案に反対する声が続々と増えてきているのです。こんな改革案を通してしまったら次の選挙で自分も負けてしまうというわけで、少なくとも80人の与党議員が反対の声を上げているということです。
政府は都市計画改正案を今年秋に国会で審議した上で法律にする予定でしたが、そう簡単にいきそうもなくなってきました。
第一野党である労働党は「保守党は不動産開発業者から多額の寄付金を受け取っている。この都市計画改案はそのようなディヴェロパーへ特権を与えることにほかならず、民主的な地方自治をないがしろにし、地元住民の権利をはく奪するものだ。」と声を大きくしています。
イギリス国民に支持される都市計画法
戦後、イギリス社会は労働党政権が導入した「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる福祉制度を導入しました。鉄道をはじめとする各種インフラの国営化、国民全員に無料で医療サービスを提供するNHSなどに代表される政策ですが、この時に国土の開発権を国営化するという都市計画制度もできたのです。
今思えばかなりラジカルな社会主義的とも言っていい数々の政策は、戦争で社会生活が疲弊する中、国が心を一つにして戦い何とか勝利を勝ち取ったタイミングだったからこそ導入できたのでしょう。
これらの一連の政策は、その後サッチャー保守政権に代表される新自由主義の時代から次々に民営化されたり、骨抜きにされたりしてきました。
その中で、唯一ほとんどそのままの形で残っているのがNHS国民医療サービスと都市計画制度だということができます。それだけ、イギリス国民にとっては、貧富に関係なく国民一人一人の健康が守られることと、自分たちが住む街の景観や自然を守る権利をみんなが共有することが重要視されているのです。
戦後少しずつの改定は経てきたものの、原則はほとんど変わらず国民に支持され続けている都市計画法をイギリス国民が大切に思っていることが、今回の地方補欠選挙で再確認されました。
今回の都市計画改革案がどのような経過をたどるのか、この秋の行く末を注意しておく必要があります。