買うにしても借りるにしても、自分が暮らそうと思う住まいをどこにするか、あなたはどうやって決めますか?値段(家賃)、家の広さや間取り、交通の便利さなどいろいろあると思います。東京で家を探すにあたって「地盤の固いところ」を理由にしたという人の話を聞いて、わたしの時はどうだったかなと思い出しました。そして、イギリスではどうやって家探しをしてきたのか、イギリス人一般はどうしているのかを書いてみます。
東京の家探し
地方出身で土地勘がなかった人が東京で部屋を借りる時に、不動産屋で真っ先に出した条件が「地盤が固いところ」だったという話を聞きました。というのも、その人は過去にかなり大きい地震を経験していて、その恐怖が身に沁みついていたからだそうです。そのおかげで、2011年の東日本大震災の時も何事もなく無事だったとのこと。
わたしは地震の少ない地方(山口県の瀬戸内海岸)で育ったので、あまり地震災害のことを考えたことがありませんでした。もちろん、日本ではどこに住んでいても地震が起きる可能性はあって、実際に神戸や熊本、最近では能登半島でも大きな地震が起きています。でも、自らゆれが分かる地震を体験したのは、東京に引っ越したあとが初めてだったので、ぴんとこなかったのです。
学生時代に東京で一人暮らしをする時、私もやはり土地勘がなくどこに住めばいいのかわからず、とりあえず調べたのは図書館の場所でした。都内各地にある公立図書館で駅から近いところにあるものを探すと、板橋区のときわ台駅(東武東上線)近くに区立中央図書館があることがわかりました。全く知らない地域ですが、とりあえず行ってみることに。駅から近い図書館は充実していて、ここなら好きに本が読めそうだと思いました。都会らしくない庶民的でこじんまりとした商店街も公園など緑豊かな環境も気に入り、駅前の不動産屋に行って、そこですすめられた物件に決めたのです。
常盤台には1年未満しかいませんでしたが、引っ越し業務を兼務していた商店街の八百屋さんと顔見知りになって、ちょくちょく買い物したり、図書館で本を借りたり読んだりしたり、駅まで緑豊かで静かな住宅街を歩いて季節を感じたりできた、心地よい思い出があります。ときわ台にはもうずっと行ってなくて、どんなところだったのか記憶もおぼろげ。いつかまた訪れてみたい街です。
その後、東京は何度も訪れたし、仕事の関係で短期間滞在もしましたが、その多くは都心の無機質なコンクリートジャングルで過ごしたので、ここにずっと住みたいと思う気にはなりませんでした。私にはたぶん、木漏れ日とか、高いビルに切り取られていない空とか、ふらっと立ち寄れる広場や原っぱ、植物や土に触れる日常が必要なのです。昔住んだところが懐かしくてもう一度行ってみたいと思う半面、もしかするとあまりにも変わっていてがっかりするかもという不安もちょっとだけあって、このままいい思い出としてしまっておくべきなのかもとも思います。
イギリスの家探し
イギリスに来てすぐは、イングランド北西部マンチェスターの郊外に住みました。最初は右も左も分からなかったので、イギリス人家庭の家にホームステイ。カレッジの先生と看護師の夫婦、小学生の男の子がいる家に部屋を借りて、食事も家族と一緒にする生活でした。家はマンチェスター南部にある静かな住宅街で、煉瓦でできたヴィクトリアンの古いセミデタッチトハウス。2階にベッドルームが3つある家ですが、私は3階部分の屋根裏部屋に住みました。
この家や住む場所は自分で選んだわけではありませんが、閑静な住宅街にあり周りはほとんどが古いヴィクトリアン住宅で、日本から来たばかりの私には何とも美しい景観にうつりました。用事もないのに、ただそのあたりの歩道を歩き回って、前庭のある家や町並み、街路樹や広場を眺めるだけで楽しかったものです。少し歩くと駅があり、隣町にはマーケットのある商店街があって、そこでウィンドウショッピングをするのもお気に入りでした。
その後、自分で家を選ぶときは、家そのものもですが、その家がある通りの景観、それから街全体のたたずまいやタウンセンターの様子を見て決めています。家はやはり古いものが好きなので、ヴィクトリアン住宅が主に。100年経った家に修復工事を施して住みやすくしたもの、または自分たちで手を入れて改善したことも。周辺の家の外観、庭や家の手入れの様子を見ると、そのあたりの治安や住みやすさがだいたい想像できます。きちんと手入れされ前庭もきれいに整っている家が並ぶ通りなのか、ペンキがはがれていたり前庭がぼうぼうになっている家が多いのかで、印象はずいぶん異なります。
場所としては、タウンセンター(中心市街地)にも、公園、広場、野原などの自然に触れられる場所にも歩いて行けるところ。そのタウンセンターも景観やどんなお店があるのかなどをチェック。できたら歩行者専用になっている、ぶらぶら歩きが楽しい商店街で、地元の個人事業主が経営する個性的なお店やカフェなどがあるところ。
イギリス人一般が家探しで重視するのは同じような点のことが多いです。付け加えると、子供がいる家庭は地元の学校を調べるので、校区内にある学校の評判がいいところは不動産価格もその分、高くなります。
景観や環境、都市計画への関心
イギリスに来て驚いたことは、特に建築家や都市計画家でもない普通の一般イギリス人でも、自分が住んでいるところ、または訪れる場所の景観や環境に関心を持つ人が多いことです。日常の会話に「この通りの景観は整っている」「このあたりの景観はきれいなのだが、あの一画に新しくできた建物はそぐわないように見える」「〇〇という街がすてきだと聞いたので、週末に行ってみよう」とかいう話題がよく出てきます。建築物のスタイルや時代についても知識を持つ人が多く、特に専門的に学習をしたことがない一般人でも自分なりに意見を持っています。
建築物というものは、他のアートとは異なり、内部はともかくその外観は一般の目にさらされるわけですから、公共のものという性質も帯びています。多くの人の目に触れるのだから、私有財産といえども周りの環境に気を配り、不愉快な印象を与えないよう、街の景観に寄与するようにデザインされるべきだという認識が一般常識として浸透しています。周囲の景観にそぐわない建物は街にごみをポイ捨てするくらいの不謹慎な許されざる行為とみなされるのです。
街づくり、地域の都市計画に対しても住民の関心は高く、新しい開発などの都市計画申請があると、賛成、反対の意見を表明したり、近所で話し合ったり、時には反対署名を呼び掛けたりといったことがよくあります。また、地域のマスタープラン作成のためのコンサルテーション中は多くの市民が関心を持って、自治体が行う説明会やワークショップに参加したり、意見を伝えたりもします。自治体の都市計画課も、トップダウンで計画を作るのではなく、基礎データを集め、テーマ別に重要課題を整理した上で市民を巻き込んで計画を作ります。逆に言えば、日頃からそういう機会が与えられているから、一般市民の都市計画に関する関心が高いということなのかもしれません。
日本では、自分が住む街で、知らないうちに突然何かの開発が起きてしまうということがあります。広く市民がそれについて知ることになる頃にはもう工事が始まっていて、反対しようにも何もできないという声をよく聞きます。そうしたことが何度も続くと、学習的な無力感が生まれ、何を言っても仕方がないと関心もなくなっていくのは仕方がないことなのかもしれません。都市計画の制度がもっと市民を巻き込む形になっていたら、住民もわが町のまちづくりを自分事として考えることができるでしょうし、物議をかもす開発に関して自治体や開発業者との対立を避けることができるのではないでしょうか。
「私のまち」と思えるか
国際比較の調査から、日本人は世界一孤独だという話を聞きました。それはたぶん、農村などの古い共同体村社会から大学や就職のために都会に移り住んだ個人がばらばらに住んでいて、地域コミュニティができにくいということもあるのだと思います。新卒ですぐに就職した勤務先で終身雇用となる人が多いため、会社がコミュニティの代わりなっている人も多いのでしょうが、非正規雇用が増え、終身雇用も揺らいできている中、これからはそういうわけにもいかなくなっていきます。
東京のような都会では、鉄道や地下鉄などの公共交通が便利で充実しているおかげで、郊外から都心に通勤する人がほとんど。長時間労働と通勤で1日が終わり、自分が住む街に関心を寄せる暇もないという人もいるかもしれません。賃貸しでは「終の住処」とまではいかなくても、せめて住む場所が「私のまち」と思えるかどうかということは、毎日の幸せ度にかなり影響を与えるのではないでしょうか。
近くに家族も親しい友人がいない一人暮らしでも、道で会えば会釈くらいはする顔見知りのご近所さん、いつも買い物をするお店の店主や店員さん、お気に入りのカフェや飲食店のスタッフなど、ゆるやかな人間関係があることで、住む街への愛着度は高まります。それだけでなく、駅の看板から街角のそば屋さん、街路樹や公園のフェンス、前庭がきれいなお気に入りの家まで、いつも見慣れた風景があるということも「私のまち」と思える大きな要素でしょう。
あなたのまちのお気に入りはどんなところですか。そして、あなたが住む場所を探す時の決め手は何ですか?